双葉山定次
双葉山 定次(ふたばやま さだじ)
本名 | 穐吉 定次(あきよし さだじ) |
四股名 | 双葉山 定次(ふたばやま さだじ) |
生年月日 | 明治45(1912)年 2月9日 |
初土俵年月 | 昭和 2(1927)年 3月 |
横綱昇進年月 | 昭和12(1937)年 5月 |
引退年月 | 昭和20(1945)年11月 |
没年月日 | 昭和43(1968)年12月16日(満56歳) |
愛称 | 不世出(ふせいしゅつ)の横綱 / 相撲の神様 / 昭和の角聖(かくせい) |
身長 | 179センチ |
体重 | 128キロ |
所属部屋 | 立浪部屋 → 双葉山相撲道場 |
得意技 | 右四つ、寄り、上手投げ |
生涯戦歴 | 348勝116敗1分33休 |
幕内戦歴 | 276勝 68敗1分33休(31場所) |
相撲界で前人未到の大記録、69連勝で知られる昭和の大横綱「双葉山」は、明治45(1912)年2月9日、現在の大分県宇佐市下庄に生まれました。
小学生時代の双葉山は、成績優秀で、足も速く泳ぎも上手で、体は大きいがけんかやイタズラをしない、そして意外な事に相撲が苦手でした。しかし、父親の船の仕事を手伝うことで強靱な足腰とバランス感覚を身につけ、それが横綱への土台となったといわれます。
幼少の頃、右目を失明する事故に遭遇、11歳の頃には父親の家業(海運業)の手伝いをする際、右手小指の一部をウィンチに巻き込みつぶしてしまうという二つの大きなハンディは、あまり知られていません。そのハンディにも関わらず、だれにも悟られぬよう人一倍稽古に励みつくった、69連勝という大記録でした。
引退後は、時津風親方として弟子の指導にあたり、相撲協会の理事長としても、さまざまな改革に取り組み、その活動は現在の相撲界に大きな功績として引き継がれています。
名言集
「われ未だ木鶏たりえず」
70連勝をかけて臨んだ昭和14(1939)年1月場所4日目、約3年間勝ち続けていた双葉山は、ついに安芸ノ海によって黒星を喫します。双葉山はいつもと変わることなく、土俵に一礼をして東の花道を下がっていきましたが、その日の夜、知人に宛てて打った電報がこの言葉であります。
「木鶏」とは中国の故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じることのない最強の状態にある闘鶏をさしています。無心の境地に至れなかった自分を戒めた双葉山でしたが、相撲道に対する更なる精進を重ね、連勝記録がストップした後も3度の全勝優勝を含む7度もの優勝を数えることとなります。
「後の先」
双葉山は生涯1度も「待った」をしなかったといいます。立ち合いでの相手を受けて立つ姿勢は、一見、立ち遅れているように見えますが、組んだときには既に先手を取っており、「後の先」と呼ばれています。
双葉山の右目は幼い頃の事故でほとんど見えない状態でありました。しかし、双葉山は現役時代、そのことを誰にも悟られぬようにして土俵人生を全うしています。
立ち合いに「待った」をせず、「後の先」を完成させたのも、自分のハンディを乗り越えるために生み出されたものでありました。
「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」
常に真摯な姿勢で相撲道と向き合い続けた双葉山の言葉は、強い説得力を持っていたことは想像できます。その双葉山が親方となり、弟子たちに説いていたのがこの言葉であります。
「稽古は本場所のように緊張感を持って取り組むように。本場所では硬くならず、リラックスして臨みなさい。」と言う意味と考えられますが、あえて最小限の言葉に抑えることにより、弟子たちへの押し付けではなく、個々の自覚を促す教訓に聞こえます。技術面を口にせず、「心気体」を相撲道の理念とした時津風親方(双葉山)を象徴する言葉の一つであります。
「勝負師は寡黙であれ」
前人未到の69連勝など、土俵上では無敵を誇った双葉山であるが、失明となった右目と事故で潰してしまった右手小指という2つのハンディを負っていました。しかし、現役中、それを決して他人に語ることなく相撲を取り続け、引退まで黙り通しています。
大きなハンディを乗り越えるため、必死の努力を続けてきた双葉山のこの言葉は、勝っても喜ぶ姿を相手に見せることがなかった双葉山の土俵哲学といわれています。
「心・気・体」
一般的にスポーツの世界では「心技体」が重要な理念であるとして知られていますが、双葉山は相撲道の理念として「心技体」ではなく、「心気体」が重要であると説きました。また、双葉山が目指した「木鶏」こそ、この「心気体」の象徴であったと考えられています。
稽古場での時津風親方(双葉山)は、ほとんど技術面のことを口にせず、「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」を指導理念とし、「心技体」ではなく「心気体」を強調していました。師匠(双葉山)が稽古場に現れると、私語を交わす者は誰一人と無く、体と体がぶつかり合う音と荒い息づかいが聞こえるばかりで、その指導力は優れていたといいます。双葉山は、亡くなるまでの25年間親方を務め、1横綱、3大関を含む多くの関取を育成しました。
双葉山誕生100年記念事業
日時 | 内容 |
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平成23(2011)年 8月 1日 | 双葉の里資料展示室リニューアルオープン記念式典 |
平成23(2011)年10月15日 | 双葉山顕彰図書発刊記念フォーラム |
平成23(2011)年10月15日~11月20日 | 双葉山4コママンガ・似顔絵・イラスト展 |
平成23(2011)年12月 3日 | 超六十連勝力士碑除幕式 |
平成23(2011)年12月 4日 | 国宝宇佐神宮横綱白鵬正奉納土俵入り |
平成23(2011)年12月 9日~平成24年1月20日 | 生誕100年特別企画「昭和の大横綱双葉山展」 |
平成24(2012)年12月 4日 | 双葉山誕生100年記念大相撲宇佐場所 |
更新日:2020年11月17日