松田新之助
松田 新之助(まつだ しんのすけ)
慶応 3年 | 1867年 | 院内町景平で、松田元平の長男として生まれる |
明治40年 | 1907年 | 宮の瀬橋 架設 (院内町斎藤) |
大正 2年 | 1913年 | 荒瀬橋 架設 (院内町副) |
大正10年 | 1921年 | 中島橋 架設 (院内町斎藤) |
大正11年 | 1922年 | 土岩屋橋 架設 (院内町土岩屋) |
大正13年 | 1924年 | 景平橋 架設 (院内町景平) |
大正14年 | 1925年 | 御沓橋 架設 (院内町御沓‐二日市) |
大正14年 | 1925年 | 富士見橋 架設 (院内町斎藤) |
昭和 2年 | 1927年 | 水雲橋 架設 (院内町原口) |
昭和 7年 | 1932年 | 長六橋 架設 (院内町小稲) |
昭和22年 | 1947年 | 81歳で死去 |
松田新之助は、松田元平の長男として、院内町景平で慶応3年(1867)10月11日に生まれました。元平は、土木工事業に開眼し、関西・関東で土木事業に身を投じ熟成を期しました。明治30年(1897)に帰村した新之助は、父の事業を継ぎます。若い棟梁の新之助は、水系と地形にマッチした石造アーチ橋に挑みました。東大出身のMという若い技師の設計で石積をしたが途中で切石不足を生じたという話が残されています。
大正14年(1925)架設の富士見橋は、工事の半ば昼食中に大響と共に崩落しました。このため、田畑山の私財を投じ再び架橋した事例があります。これを最後に石橋架設請負を断念することを宣言しましたが強い要望もあり、昭和2年(1927)水雲橋、昭和7年(1932)長六橋、昭和8年(1933)中山橋【安心院町中山】昭和9年(1934)丸田橋【安心院町丸田】を架設しています。
このような数々の石橋を架設し、昭和22年(1947)4月23日に81歳の生涯を終えました。
松田新之助関連事業
日時 | 内容 |
---|---|
平成25(2013)年5月1日~ 平成26(2014)年1月20日 |
「未来へ残したい いんない石橋の郷フォトコンテスト」 |
平成25(2013)年5月5日~ 6月16日 |
「いんない石橋と匠たち」展 宇佐市民図書館渡綱記念ギャラリー |
平成25(2013)年8月10日 | 「知っとく!!いんないの石橋」 |
平成25(2013)年8月19日~ 9月10日 |
「いんない石橋の郷・絵画コンクール」 |
平成25(2013)年9月14日 | 「院内の石橋と環境保全」(第3回市民環境歴史教室) |
平成25(2013)年9月21日 | 「石橋フォーラムinいんない」 「いんない石橋の郷・絵画コンクール表彰式」 「第8回 いんない石橋の郷コンサート」 |
平成25(2013)年9月22日 | 「いんない石橋めぐりバスツアー」 |
平成25(2013)年12月 | 「宇佐学マンガシリーズ3」刊行 |
平成26(2014)年2月16日 | 「宇佐学マンガシリーズ3」出版記念 フォトコンテスト表彰式 |
関連リンク
郷土の偉人顕彰シリーズ
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更新日:2020年11月17日