宇佐八幡駅

更新日:2024年02月07日

宇佐八幡駅(大正5年)

宇佐八幡駅(大正5年)

大正5年、宇佐神宮から宇佐駅を経由し、豊後高田市中心街を結ぶ全長約8.8kmの鉄道「宇佐参宮線」が開業し、横町通りと国道10号線の交差点付近、今は宇佐八幡有料駐車場となっている場所に「宇佐八幡駅」が建てられた。

まだ自家用車が普及していない時代であった当時、「クラウス号」をはじめとする宇佐参宮鉄道の蒸気機関車達は、宇佐神宮の参拝客だけでなく、地域住民の“足”として活躍した。

昭和大造営で横町通り沿いに新築移転された宇佐八幡駅

昭和大造営で横町通り沿いに新築移転された宇佐八幡駅

宇佐八幡駅の跡地

宇佐八幡駅の跡地

明治44年(1911年)、日本の鉄道網の拡大に伴い、官幣大社の宇佐神宮にも鉄道を敷く計画が始まり、現在のJR宇佐駅を中心に豊後高田市中心街と宇佐神宮を結ぶ宇佐参宮鉄道整備計画が大正3年(1914年)に始まった。翌年の大正4年(1915年)から工事が始まり、更に翌年大正5年(1916年)に開業を迎え、宇佐参宮線の全長を片道40~50分で運行した。

寄藻川沿いに整備された宇佐参宮線の鉄道(昭和初期)

寄藻川沿いに整備された宇佐参宮線の鉄道(昭和初期)

昭和20年(1916)に大分交通株式会社が宇佐参宮線を経営するようになり、線名も大分交通参宮線に変更された。当時は、宇佐駅から宇佐八幡駅までの間に橋津駅が設けられており、宇佐駅から豊後高田までは途中の停車駅はなかった。

宇佐八幡駅のホーム(昭和30年)

宇佐八幡駅のホーム

(昭和30年)

宇佐八幡駅の駅名標(昭和30年)

宇佐八幡駅の駅名標

(昭和30年)

御神幸祭(夏越祭)で賑わう宇佐八幡駅(昭和30年)

御神幸祭(夏越祭)で賑わう宇佐八幡駅(昭和30年)

宇佐八幡駅でのお別れ式(昭和40年)

宇佐八幡駅でのお別れ式

(昭和40年)

昭和27年に豊後高田までの間に封戸駅が設けられ、昭和33年に宇佐高校前駅が設けられ、宇佐~宇佐八幡駅間が18銭、宇佐~高田間が15銭の運賃で乗車できた。

これによって、宇佐神宮の参拝客だけではなく、地域住民や学生の利用も増加させ収益拡大を狙ったが、自動車を各世帯が所有する時代になり、鉄道利用者の減少に合わせて昭和40年(1965年)に惜しまれながらも廃線を迎えた。

宇佐参宮鉄道の蒸気機関車

26号機関車クラウス号

26号機関車クラウス号

開業当初、大日本軌道株式会社鉄工部製の蒸気機関車3両を交代して運行していた。これは1週間機関車を走らせるとタンクの水が濁り、馬力が落ちるためであった。

大正14年に1両、その後、もう1両導入。戦後、昭和23年に運輸省から新たな機関車の払い下げを受けた。これが26号機関車クラウス号である。

クラウス号は、定評あったドイツのクラウス社の車両で、宇佐参宮線を走る機関車の中で最も古かったが、馬力は1番強く、走り心地もよくて機関士たちの間で人気があった。

 

宇佐参宮線を走るクラウス号

宇佐参宮線を走るクラウス号

地元住民の生活を支え、多くの参拝客をのせ走り続けた宇佐参宮線の蒸気機関車たちは、昭和29年にディーゼル機関車が導入された後もしばらく運行を続けたが、次第に出番は少なくなった。

車両を入替えるクラウス号

車両を入替えるクラウス号

ディーゼル機関車(TC2型)

ディーゼル機関車(TC2型)

絵本「しあわせなクラウス号」

三和文庫が出版した絵本

「しあわせなクラウス号」

 

宇佐参宮線廃止された昭和40年、残っていた蒸気機関車はクラウス号だけであった。クラウス号は、大分交通から宇佐町に寄贈され、宇佐神宮境内に保存された。平成12年、令和元年に、宇佐ライオンズクラブによる修復・補修工事が行われ、今も宇佐神宮境内でその雄姿を見ることができる。

九州鉄道が20両輸入したうちの1両であるこの機関車は、現在では全国に4両、九州では1両しかなく、県の有形文化財に指定されている。

 

参考文献

 ・写真集『郷愁のローカル鉄道宇佐参宮線(付・豊州線)』 

     編者 清原 芳治

     発行 大分合同新聞

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