六郷満山峯入り

更新日:2024年02月07日

祭典日:10年に一度 4月

六郷満山

「天保国絵図」に描かれる国東半島

「天保国絵図」に描かれる国東半島

国東半島には、「六郷満山(ろくごうまんざん)」と呼ばれる天台宗寺院が散在している。六郷とは、古代国東半島の来縄、田染、安岐、武蔵、国東、伊美という六つの郷を指したもの。また「満山」とは山岳仏教寺院が使う言葉で、寺院の集合を称している。かつてこの六郷は、九州きっての大領主であった宇佐宮の荘園だった。

奈良時代718年に宇佐八幡大神の化身である「仁聞(仁聞菩薩)」は、28の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造り、宇佐・国東の地に神仏習合の原点となる山岳宗教「六郷満山」を開いたとされる。

仁聞伝承と峯入り行

仁聞菩薩が造ったとされる不動明王像の絵図

仁聞菩薩が造ったとされる不動明王像

「蓑虫山人絵日記」

宇佐八幡大神の化身である「仁聞(にんもん)」は、宇佐宮南にそびえる御許山で出家し、法蓮・覚満など4人を同行して、まず御身に油を塗り3年間焼き続ける焼き身の行をおこなった。その後、国東の山々に仏法修行に入り、その修行は70年あまりにも及んだといわれている。

平安時代855年、津波戸山(杵築市)で修行に励んでいた、能行聖人(宇佐氏の裔)の前に仁聞菩薩が現れ「六郷の山々を修行するには二つの道があり、一つは後山の岩屋(宇佐市)から横城の山(杵築市)を横断する道、二つ目は国東半島の海岸部の山々を巡る道がある。仁聞の跡を継ぐ者はこれらの修行の道を巡るべきだ」告げ、と国東半島の峯々の巡行路を示したとされている。

峯入りは、仁聞の行跡を辿りながら国東半島の岩屋・奇岩・御堂等の霊場を縦横に巡る六郷満山僧侶の荒行であり、江戸時代には現在のように集団で行う形式が整えられた。

現在の峯入りは、まず御許山に白装束で身を包んだ行者達が集まり、下山して宇佐神宮本殿を参拝し読経する。翌日、豊後高田市の熊野磨崖仏で、開白護摩の儀式を執り行い、峯入りの行がはじまる。六郷満山の各寺院をまわる道中、崖上からシキミの枝を投げる「散華」や、岩塊から飛び降りる「岩飛び」などの行法、また無病息災や虫封じなどの加持を行いながら、180余りの霊場を巡る約160kmの行程を踏破し、最後は半島のほぼ中央に開く、両子寺に到着し結願を迎える。

上宮から見た御許山

御許山

宇佐神宮本殿参拝

宇佐神宮本殿参拝

宇佐神宮境内にて行われる護摩行

宇佐神宮境内にて行われる護摩行

熊野磨崖仏 開白護摩の儀式

熊野磨崖仏 開白護摩の儀式

天念寺、険しい岩肌の長岩屋山を下る

天念寺では険しい岩肌の長岩屋山を下る

川中不動

川中不動

峯入り行最大の難所、無明橋

峯入り行最大の難所、無明橋

橋の上で法螺貝を吹く行者

橋の上で法螺貝を吹く行者

虫封じの加持

虫封じの加持

両子寺「奥の院」

両子寺「奥の院」

画像提供

国立公文書館

宇佐国東半島を巡る会

国東半島宇佐地域・六郷満山誘客推進協議会

大分県立歴史博物館

宇佐市教育委員会

この記事に関するお問い合わせ先

都市計画課 景観・公園整備係
〒879-0492 大分県宇佐市大字上田1030番地の1 本庁舎2階

電話番号:0978-27-8181
ファックス:0978-32-2331

メールフォームによるお問い合わせ

ページに関する評価
このページは参考になりましたか?
このページは見つけやすかったですか?
このページの内容はわかりやすかったですか?