宇佐市内の戦争遺跡

更新日:2020年08月14日

宇佐市内に残る戦争遺跡

昭和14(1939)年10月1日に宇佐海軍航空隊が開隊し、艦上機(航空母艦から発着する航空機)の搭乗員を養成するため、多くの航空隊員が宇佐で訓練を行っていました。昭和20年になると、宇佐海軍航空隊でも特攻隊が編成され154人もの若者が命を落としました。一方で、宇佐海軍航空隊とその周辺は米軍による空襲を何度も受け、多くの方が亡くなりました。

市内には現在でも、軍用機を格納した掩体壕(えんたいごう)や、機銃掃射の痕が残る落下傘整備所など、多くの戦争遺構が残されています。

戦争の脅威や平和への願いを伝えるため、戦争遺跡の保存を進めています。

宇佐市内の戦争遺跡

城井1号掩体壕(宇佐市指定史跡)
軍用機を空襲から守るための施設です。戦後50年にあたる平成7年に、平和のシンボルとして保存することがきまり、公園として整備されました。
掩体壕の内部には、国東沖で引き揚げられたゼロ戦のエンジンとプロペラが展示してあります。

滑走路跡
かつて滑走路があった場所には、フラワーロード2号線が通っています。道路沿いには、特攻隊員を見送った人をイメージしたモニュメントと、米国から送られたハナミズキが植えられています。

宇佐海軍航空隊関係 爆弾池(宇佐市指定史跡)
昭和20(1945)年4月21日に米軍のB29が宇佐に初めて飛来し、多くの爆弾を投下しました。その時にできた爆撃の穴が、1つだけ残されており、「爆弾池」と呼ばれています。

宇佐海軍航空隊落下傘整備所(宇佐市指定史跡)
落下傘を整備していたといわれているレンガ造りの建物です。外壁には米軍による機銃掃射の痕が無数に残っています。

宇佐海軍航空隊 耐弾式コンクリート造建物
(宇佐市指定史跡)

受信室または配水場とされるコンクリート製の建物で、防弾効果等をあげるために、外壁の厚さが45センチメートルと頑丈な構造となっています。

高居地下壕(宇佐市指定史跡)
  米軍の空襲から逃れるために、駅館川東岸の崖には多数の横穴壕が掘られています。その内の1基を史跡として保存しています。

宇佐海軍航空隊関係 蓮光寺生き残り門
(宇佐市登録有形文化財)

4月21日の空襲で航空隊周辺が大きな被害を受けました。蓮光寺の本堂等が焼け落ちた中、この山門だけ焼けずに残ったので、生き残り門と呼ばれています。

エンジン調整室
航空機のエンジンを取り外して、整備していたコンクリート製の建物です。内部には、エンジンを乗せたと思われる台の基礎部分が残っています。

機銃掃射の痕が残る塀(柳ヶ浦小学校)
航空隊の近くにあった三洲国民学校(現、柳ヶ浦小学校)も空襲を受けました。小学校東側の壁には、多くの機銃弾痕が残っています。

宇佐市平和資料館

宇佐海軍航空隊の歴史や宇佐から出撃した特攻隊、宇佐への空襲などについて解説した資料館を開設しています。

詳しくは、下記のリンクをご覧ください。

宇佐市平和資料館館内

訓練中の97式艦上攻撃機

米軍による最初の宇佐空襲

この記事に関するお問い合わせ先

社会教育課 文化財係
〒879-0492 大分県宇佐市大字上田1030番地の1 本庁舎3階

電話番号:0978-27-8199
ファックス:0978-33-2670

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