宇佐市内の戦争遺構

更新日:2023年10月27日

宇佐市内に残る戦争遺構

昭和14(1939)年10月1日に宇佐海軍航空隊が開隊し、艦上機(航空母艦から発着する航空機)の搭乗員を養成するため、多くの航空隊員が宇佐で訓練を行っていました。昭和20年になると、宇佐海軍航空隊でも特攻隊が編成され154人もの若者が命を落としました。一方で、宇佐海軍航空隊とその周辺は米軍による空襲を何度も受け、多くの方が亡くなりました。

市内には現在でも、軍用機を格納した掩体壕(えんたいごう)や、機銃掃射の痕が残る落下傘整備所など、多くの戦争遺構が残されており、「平和の大切さや命の尊さ」について感じ考える機会を提供するため、戦争遺構の保存活用を推進しています。

宇佐海軍航空隊跡地

城井1号掩体壕

掩体壕は、軍用機を空襲から守るための施設です。
市内には、コンクリート製で屋根付きの「有蓋掩体壕」が10基、コの字型に土を盛り、上を木などで覆って飛行機を隠した「無蓋掩体壕」が1基残っています。
城井1号掩体壕の内部には、国東沖で引き揚げられたゼロ戦のエンジンとプロペラが展示してあります。

 

滑走路跡
かつて滑走路があった場所には、フラワーロード2号線(市道)が通っています。道路沿いには、特攻隊員を見送った人をイメージしたモニュメントと、米国から送られたハナミズキが植えられています。

宇佐海軍航空隊関係 爆弾池
昭和20(1945)年4月21日に米軍の爆撃機B29が宇佐に初めて飛来し、11分間に136トン以上の爆弾を投下しました。その爆撃によってできた穴に水が溜まり、池のようになったことから「爆弾池」と呼ばれています。
かたわらの展望台からは航空隊敷地跡を一望できます。

宇佐海軍航空隊 落下傘整備所
落下傘(パラシュート)を整備していたといわれているレンガ造りの建物です。外壁には米軍による機銃掃射の痕が無数に残っています。

宇佐海軍航空隊 耐弾式コンクリート造建物
宇佐海軍航空隊の受信所と考えられているコンクリート製の建物で、防弾効果等をあげるために、外壁の厚さが45センチメートルと頑丈な構造となっています。

宇佐海軍航空隊 発動機試運転場(エンジン調整場)
軍用機の整備が済んだ発動機(エンジン)の試運転や調整を行ったコンクリート製の建物です。内部には、エンジンを乗せたと思われるコンクリート製の台が4基あり、天井には、エンジンをつるして移動に使用したと思われるレール跡が残っています。

その他 エリア

蓮光寺生き残り門
昭和20(1945)年4月21日、米軍の空襲で江須賀地区の連光寺本堂や周辺の民家が全壊しました。この山門だけは奇跡的に戦禍をまぬがれたため「生き残り門」と呼ばれるようになりました。

津島屋本家「総督」酒蔵跡
津島屋は、江戸時代中期から酒造屋だった今戸屋の屋号で、昭和20(1945)年4月21日の空襲で爆弾が命中し、工場、家屋ともに壊滅しました。地下の日本酒の貯蔵庫は、防空壕としても使われ、4月21日の空襲では地下室に避難した9名が生き延びました。

柳ヶ浦小学校
敷地内には機銃弾の痕が残る塀や爆弾で折れた顕彰碑、戦禍を生き延びた柳の木が残っており、空襲の恐ろしさを今に伝えています。

宇佐海軍航空隊忠魂碑
忠魂碑は宇佐海軍航空隊で亡くなった人々を弔うために、昭和20(1945)年の終戦前に航空隊の敷地内に建てられました。現在は、戦後の道路拡幅工事に伴い、江須賀地区の若八幡神社境内に移設されています。
かたわらには、宇佐海軍航空隊で亡くなった飛行予備学生74名の氏名を刻んだ慰霊碑があります。

高居地下壕

空襲を避けるために掘られた横穴壕で、総延長146m、内部は5ヵ所に分岐し、迷路のようになっています。太平洋戦争末期の昭和20(1945)年2月以降に掘削工事が始まりました。
内部の様子は、戦争遺構めぐり 疑似体験コンテンツ(VR)より見学可能です。

和間海岸の旗竿立て
和間漁港の数十メートル沖にある高さ2mを超えるコンクリート製の円柱台座です。 大正2(1913)年、西国東郡呉崎村(現:豊後高田市呉崎)に海軍の大砲発射場が建設されました。発射訓練が行われている間、この円柱台座には訓練の実施を知らせる赤い旗が立てられ、その間は漁に出られなかったといわれています。

陸軍大演習記念塔
大正9(1920)年11月、宇佐・中津・築上平野において、西軍と東軍に分かれて陸軍特別大演習が行われました。当時の裕仁皇太子(昭和天皇)が演習を観戦した場所は「御野立所」と称され、その場所には記念塔が建てられています。(市内3箇所)

関連ツール

関連施設

宇佐市平和資料館

宇佐海軍航空隊の歴史や宇佐から出撃した特攻隊、宇佐への空襲などを紹介するための資料館です。特攻隊員の名前が残る資料や米軍が撮影した空襲の映像、映画「永遠の0」の撮影用に製作された零戦の原寸大模型などを展示・公開しています。

詳しくは、以下のリンク先をご覧ください。

宇佐市平和資料館館内

訓練中の97式艦上攻撃機

米軍による最初の宇佐空襲

宇佐空の郷

市内に残る戦争遺構巡りの拠点施設です。建物は宇佐海軍航空隊の本部庁舎をモチーフとしており、敷地内には、正門門柱の復元モニュメントを設置しています。また、施設内には、宇佐海軍航空隊正門門柱の1基を実物展示しています。

詳しくは、以下のリンク先をご覧ください。

宇佐空の郷(外観)

宇佐空の郷(内観)

この記事に関するお問い合わせ先

社会教育課 文化財係
〒879-0492 大分県宇佐市大字上田1030番地の1 本庁舎3階

電話番号:0978-27-8199
ファックス:0978-27-8232

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