現在の位置

浮殿

更新日:2024年02月07日

浮殿

浮殿(うきでん)

浮殿とは和間神社のことを指す。

200年くらい前まで、この辺りは海であった。潮が満ちると社殿が波間に浮かんでいるように見えたことからこの名が付いた。十九世紀に行われた干拓により海岸線が移動し、神社は現在地にいたる。しかし、御許山に源を発し、宇佐神宮神域を流れ豊前海にそそぐ寄藻川の河口に突き出された朱色の本殿は、今でも水上に浮かんでいるかのようである。

「蓑虫山人絵日記」に描かれた和間浜

「蓑虫山人絵日記」に描かれた和間浜

浮殿は、宇佐宮が毎年行う放生会のための神社として八世紀半ばに建立された。この放生会は、720年に九州南部の豪族である隼人の反乱の際、討伐された隼人への殺生の罪を贖うためにはじまったとされる祭事である。放生会は、明治以降に仲秋祭と改められ、今でも宇佐神宮の大祭のひとつとして斎行されいる。初日には、八幡大神は神輿に乗り大行列をともない、上宮から8km先の浮殿まで移される。翌日、本殿で神職や僧侶がお清めを行った後、隼人の御霊が成り変わったと伝えられる蜷や蛤が神職の手により河中に放たれる。

浮殿に到着した神輿

浮殿に到着した神輿

放生の儀

放生の儀

かつて、浮殿は広い境内を持つ大きな神社だった。

室町時代には豊前の守護となった大内盛見によって、また江戸時代前期には豊前国中津の藩主となった細川忠興の力で再興されるほど、浮殿は重要な存在であった。

室町時代「応永の古図」に描かれた浮殿

室町時代「応永の古図」に描かれた浮殿

現在の浮殿は、昭和大造営により昭和13年(1938)に、縮小された現在の形で再建され、昭和39年(1964)に修理された。

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