円通寺
円通寺は、県内最古の臨済宗寺院であり、全国的にみても古い寺院の一つである。鎌倉時代初期1243年に神子栄尊(じんしえいそん)という僧が開山し、宇佐宮の大宮司であった宇佐公仲により創建された。臨済宗大徳寺派の中本寺で、かつては七堂伽藍を備えた大寺であったと伝えられ、末寺には大宮司宮成家の菩提寺である光隆寺などがある。
伝説によれば、栄尊は宇佐神宮で祀られている八幡神との強い繋がりがあったとされている。寺院への参道と門、そして本堂が宇佐神宮の表参道と同じ直線上にあり、この寺が宇佐神宮と深い関わりがあることを物語っている。
神子栄尊の木像
栄尊は九州の北部出身の禅僧で、鎌倉時代初期1235年に仏教を学ぶために宋(中国)へ留学した。伝説によると、栄尊は日本に帰国した後、八幡大神に渡海の安全と成功の感謝御礼ため1243年に宇佐宮を参拝した。この時、栄尊は学んだ仏教の教えを神前で説き、八幡大神から「神師(神の師)」の称号を授けるという神託を受けた。しかし栄尊は、「神師」の号を名乗るのをはばかり、1文字を置き換えることで「神の子」を意味する、「神子栄尊」と名乗ることとなった。
栄尊は円通寺の設立に加え、焼失した弥勒寺の再建に大きく貢献した。千年以上続いた神仏習合の時代、弥勒寺は宇佐宮の境内にあり、非常に重要な役割を果していた。その弥勒寺の復興に尽力した栄尊の貢献を認めた宇佐宮は、境内から遠く離れているにも関わらず、円通寺にも神宮寺と同様の扱いをした。
円通寺の本堂には、2つの木彫りの頭部が寺宝として安置されている。本尊である観音菩薩坐像に向かって右は栄尊、左はその時代の臨済宗のもう一人の僧侶であり、円通寺の復興に協力した無本覚心(1207–1298)を表している。元々は二人の僧侶の全身立像であったが、腐朽により、現在では頭部しか残っていない。またもう一つの寺宝として、鎌倉時代に作像された阿弥陀如来像が安置されている。この像は、大宮司宮成家の菩提寺である光隆寺のご本尊だったと伝えられている。
無本覚心の木像
阿弥陀如来像
円通寺は宇佐神宮から北に約1km、神橋と大楽寺の先にある。電話で事前予約をすれば、寺の案内を受けることや、座禅、写経をすることも可能。
更新日:2024年03月01日