大神比義命
八幡大神と大神比義(八幡縁起絵巻)
江戸末期(1812)
大神比義(おおがひぎ)は八幡大神を初めて見たとされる人物で、奈良の三輪明神を祀る大神神社の社家の生まれと言われている。欽明天皇29年(568年)に勅命を受け、宇佐に派遣された。宇佐の地に着いた大神比義は、五穀を断ち3年籠居精進し、御幣を捧げて祈った。すると、菱形池のほとりに笹の葉にのった3歳の童子の姿をした八幡大神があられ、自分は応神天皇であること、そして日本を守護することを告げた。その後、元明天皇元年(708年)に童子は黄金の鷹になり、宇佐を流れる駅館川の東岸の松の上にとどまった。
しかし、その姿を見に集まった見物客が無礼に騒ぎたてたため、荒ぶる神であった八幡大神は激怒した。それを知った大神比義は、辛島勝乙目という巫女とともに千日の間、祈願した。その甲斐あって、八幡大神の心も和らいだので、712年に鷹のとどまった鷹居山に鷹居社を造り八幡大神をお祀りした。
しかし、「この場所は通行人が騒がしいので小山田の林に移りたい」との八幡大神のお告げにより716年に小山田社に移祀された。ところが、「小山田社は境内が狭いので小椋山に移りたい」と八幡大神がお告げになったので、725年に現在地である小倉山の頂上に一之御殿が建てられ、やがて宇佐神宮と呼ばれる大きな神社へと発展を遂げた。
鷹居神社
小山田神社
八幡信仰の草創に貢献した大神比義は、大神氏の宗家である小山田家に奉祀され、後に大神比義命として宇佐神宮の下宮「一之御殿」に八幡大神と供に祀られた。
小山田家に代々守り継がれてきた大神比義命の祠は、現在は小山田家跡地に整備された小山田記念公園内に復元されている。
大神比義命の祠
下宮「一之御殿」
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更新日:2024年02月08日