御神幸祭
祭典日:7月31日~8月2日
宇佐神宮の恒例祭典で最も壮麗である御神幸祭(夏越大祭)は、古くは「御祓会(おはらいえ)」と称し、夏越神事として平安時代には既に斎行の記録が見られる。
三柱の御祭神(八幡大神・比売大神・神功皇后)がそれぞれの神輿にて、上宮本殿から境内の頓宮に渡御される際、かつては勇壮な先着争いが繰り広げられたことから「喧嘩祭」の異名があった。

大正時代の御神幸祭(ごしんこうさい)
御神幸祭の奉仕に当たり、神職は7月25日早朝に海での禊「汐掻」を行い、大祭の終わりまで精進潔斎につとめる。7月31日の上宮から頓宮への御神幸は「お下り」、8月2日の頓宮から上宮への御還幸は「お上り」と呼ばれ、宮司以下神職をはじめ歴史装束に身を包んだ奉行・供奉・執物所役、道行囃子の童子らが三基の神輿と共に練り歩く渡御列の様子は壮観である。

「お下り」の前に本殿で行われる祭事
「お下り」で上宮を参進する神職と供奉
上宮を後にする一之御殿の神輿
道行囃子の童子の一行
執物所役をつとめる子供達
中日となる8月1日は、境内の大尾山参道にて小笠原流弓馬術礼法による「流鏑馬神事」が執り行われ、2日の夜には厄除花火大会が催されるなど、境域は終日近郷遠来の参拝者で賑わう。
流鏑馬神事

流鏑馬神事

厄除花火大会
今も昔も変わらず斎行される御神幸祭


本殿を発輦する神輿


潮振桶を持つ子供達


獅子を奉仕する子供達


蝶鳥駒(ちょうとりこま)を奉仕する子供達


神輿にのる宮大工

戦後、担ぎ手が足りず牛車で運ばれる神輿
左上は大内義弘が寄進した二之御殿と三之御殿の神輿(室町時代)。現在は宝物館に展示されている。
昭和16年の本殿遷座祭より、現在の神輿(右上)が使われるようになった。
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更新日:2024年02月07日