百体神社

更新日:2024年02月07日

百体神社

百体神社(ひゃくたいじんじゃ)

百体神社は、大和朝廷に征服された南九州の豪族である隼人の魂をなだめるため、奈良時代に創建された小さな神社である。ここは宇佐神宮の末社で、勅使街道の途中、化粧井戸や凶首塚古墳の東にある。

室町時代「応永の古図」

室町時代「応永の古図」

百体神社の額束

百体神社の額束

古来より南九州に住む豪族であった隼人は、大和朝廷が支配を南九州への拡大したことに抵抗し、720年に反乱を起こした。

朝廷の軍勢が隼人征伐に向けて出発したとき、八幡大神は守護として神輿に乗り出御した。戦いは激しく、城を築き抵抗する隼人に苦戦を強いられた朝廷軍は、傀儡子という人形による演劇で隼人を魅了し、油断した隼人軍を討ち取ることに成功した。朝廷軍は勝利の証として百個の首を持ち帰り、この地に埋葬したと言われている。

傀儡子の舞(八幡古表神社)

傀儡子の舞(八幡古表神社)

神相撲(古要神社)

神相撲(古要神社)

反乱の後の数年間、疫病と飢饉が宇佐の地を襲い、人々は隼人の怨霊が原因だと信じた。

殺生の罪を悔い、仏教に救いを求めた八幡大神は、隼人の慰霊のため「年ごとに放生会を修すべし」と告げ、失われた隼人の御霊を祀り、その魂を鎮めるために百体神社が建立された。

百体神社の本殿

百体神社の本殿

千年以上が経過したが、放生会の儀式と隼人のための祈りは、宇佐神宮の仲秋祭に欠かせない儀式として今なお行われている。祭りの最終日には、八幡大神の御霊を運ぶ神輿が百体神社へ立ち寄り、隼人の魂を鎮める祈りが捧げられた後、八幡大神は宇佐神宮へ戻られる。かつては、この儀式の一つとして、隼人の乱の際に演じられた傀儡子の舞や、神様同士の相撲を表現した「神相撲」が百体神社で行われていた。その伝統は宇佐では二十世紀に絶えてしまったが、八幡古表神社(福岡県吉富町)と古要神社(大分県中津市)で続いている。これらの神社に祀られる神々の霊を宿す御神体は、隼人を魅了した傀儡子であるといわれている。

隼人の御霊鎮魂のため捧げられる黙祷

隼人の御霊鎮魂のため祈りを捧げる神職

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