大尾神社

更新日:2024年02月07日

宇佐神宮東側にある大尾山(おおおやま)に鎮座する神社。

宇佐神宮の主祭神である八幡大神の御分霊が祀られる摂社である。

昭和大造営後に発行された絵葉書

昭和大造営後に発行された絵葉書

「応永の古図」に描かれた大尾神社

「応永の古図」に描かれた大尾神社

奈良時代の中頃の749年、八幡大神は廬舎那仏(東大寺大仏)造立に協力するため、奈良の都、東大寺へ行幸した。八幡大神は宇佐へ帰還の後、765年に「この大尾山にしばしの間、鎮座する」告げた。これを受けて山頂に本殿が造営され、15年間お鎮まりになった。

この間、都では朝廷を揺るがす大事件が起こる。女帝・称徳天皇の寵愛を受け、僧でありながら法王の座まで昇り詰めた弓削道鏡(ゆげどうきょう)が、「道鏡を皇位につかせたならば天下は泰平である」という神託を八幡大神がもたらしたとし、自ら天皇の位につくことを企てた。称徳天皇は真相を確めるため、官僚であった和気清麻呂(わけきよまろ)を宇佐宮へ派遣した。

奈良の都をたち10日余りで宇佐の地にたどり着いた清麻呂は、神殿にひざまずき深く頭を下げた。すると八幡大神が現れ「皇位は皇室の血を引く者のみ継がれるべき」、「君主の地位を狙い、道をはずれる者は早く追放すべし」と告げ、道鏡の野望を打ち砕いた。

後に八幡大神は小椋山の一之御殿に戻られたが、大尾山にあるこの神社は、かつて八幡大神が現れその意向を語った神聖な場所として、今でも多くの参拝者が訪れる。

大神社の門

大尾神社の拝殿

拝殿

現在の社殿は、昭和大造営により昭和12年(1937)に再建され、令和2年(2020)に修復された。同じく大尾山に鎮座する護皇神社には、皇室へ忠誠を尽くした、和気清麻呂が祀られている。

大尾神社の本殿

大尾神社の本殿

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