勅使街道

更新日:2024年03月01日

勅使街道「光の参道」

勅使街道「光の参道」

撮影:宮本龍之(令和5年8月10日)

古代、豊後国衙(大分市古国府)と豊前国衙(福岡県京都郡みやこ町国作)を結ぶ官道(速達性と輸送性を重視した律令時代の官営道路)を「豊前道」といった。京の都から宇佐宮へ参向する勅使(天皇の使者)一行は、この豊前道を通ったことから、中近世には宇佐への道が「勅使街道」と称されるようになる。

本来の勅使街道はほぼ一直線で通っており、宇佐神宮に至るその道沿いに、薦神社(中津市)・鷹居八幡神社・百体神社と、関わり深い神社が一列に建ち並んでいることが確認される。

東西に貫く官道「宇佐大路」

勅使街道の終点、宇佐神宮が鎮座する盆地「宇佐町(宮中)」を東西に貫く官道は「宇佐大路」とも呼ばれ、今でも松隈の丘(百体神社付近)から宇佐神宮呉橋までの直線道を見ることができる。

江戸末期「宇佐宮奉幣使参向順路図」

江戸末期「宇佐宮奉幣使参向順路図」

現在、宇佐神宮への勅使参向は10年に一度となっているが、その勅使を乗せた車列は今でも先例に従い、国道10号線から勅使街道(宇佐大路)を通って呉橋に至り、呉橋を歩いて渡って神宮境内へ入る仕来りが守られている。

勅使街道は、政治を動かす託宣を運ぶ道、宇佐宮の祭礼を支える経済的・儀礼的な道、各時代の先端の情報と文化を運ぶ道として、古代から現代に至るまで常に再生し使われ続けてきた貴重な歴史遺構である。

呉橋から見た勅使街道(昭和13年)

昭和13年

呉橋から見た勅使街道(令和2年)

令和2年

呉橋から望む勅使街道

百体神社前から望む勅使街道(昭和56年)

昭和56年

百大神社前から望む勅使街道(令和2年)

令和2年

撮影:辛島智久

百体神社前から望む勅使街道

かつて、勅使街道の百体神社前辺りには石畳が敷かれていた。この石畳は江戸時代末頃に設置された可能性があり、昭和40年頃まで利用されていた。石畳の一部は百体神社前に設置され、当時の様子を再現している。

昭和初期の勅使街道

昭和頃の百体神社前

『宇佐神宮の原像』より

発掘調査(平成28年)

発掘調査(平成28年)

復元ざれた石畳

復元された石畳

東京2020オリンピック聖火リレー

東京2020オリンピック聖火リレー

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