小部遺跡が国指定史跡に指定されました
小部遺跡が国指定史跡に指定されました。
史跡名勝天然記念物の指定等について文部科学大臣に答申されていた小部遺跡(こべいせき)が、令和3年3月26日付官報をもって、正式に国指定史跡に指定されました。
これで宇佐市内の国指定史跡は6件となりました。
小部遺跡とは
小部遺跡は、宇佐市大字荒木にある古墳時代前期(3世紀後半~4世紀)の集落遺跡です。過去の発掘調査により、全長200m超で2か所の突出部が付属する環濠と、柵による方形区画が発見されており、豪族居館ではないかと考えられています。
令和元年度に行った発掘調査では、南北8m、東西5.6mの大型掘立柱建物が発見され、居館の内部が明らかとなりました。
遺跡からは、近畿地方や吉備(現在の岡山県)地方の土器などが多く出土しており、瀬戸内海を隔てた交流拠点の一つであったと考えられています。
居館があったのは赤塚古墳(川部・高森古墳群で最古の前方後円墳)が築かれた時期とほぼ同時期であり、小部遺跡は古墳に埋葬された人々の住まいであった可能性もあります。
東側から見た小部遺跡
黒川の左岸にある標高8mほどの丘陵上に遺跡は位置しています。
環濠の突出部
環濠の西側には、1辺10mほどの突出部が2か所付属しています。
環濠から出土した土器
環濠からは、近畿地方や吉備(岡山)地方で見られる土器が多数出土しました。
小部遺跡から出土した土器の一部は、現在、大分県立歴史博物館の常設展示室で見ることができます。
環濠の中に造られた方形区画(柵)
環濠の内側には、南北50m、東西37mの方形区画(柵)が造られていました。
区画の中は、有力者などの限られた人のみが使用した空間ではないかと考える人もいます。
発見された大型掘立柱建物跡
柵の中から発見された大型掘立柱建物は、桁行4間(8m)、梁行3間(5.6m)ありました。
建物の内側にも柱が並んでおり、高床式の建物であったと考えられています。
指定を受けての市長コメント
小部遺跡は約半世紀前に発見され、この間調査を続けてまいりました。この度、周防灘に面する平野に位置する古墳時代前期を中心とする構造の変遷が明らかな集落遺跡として、国指定史跡にふさわしいとの文化審議会の答申をいただいておりました小部遺跡が、令和3年3月26日付けの官報告示をもって、正式に国指定史跡となりました。宇佐市の誇りであり、大変うれしく思っております。
これまでの長きにわたり、調査にご協力をいただいた地元の皆様方、調査指導をいただいた先生方、その他様々な形でご協力・ご理解をいただきました皆様方に感謝申し上げます。
同じく国指定史跡となっております赤塚古墳と同時期で、関連も深いと考えられている遺跡でもあり、本市の歴史の奥深さが感じられます。
今後は、市内に点在する多くの文化財とともに市民の皆様方にとって全国に誇れる歴史遺産として、教育・観光への活用を考えていきたいと思います。
赤塚古墳
赤塚古墳
大分県立歴史博物館の敷地内にある赤塚古墳は、川部・高森古墳群の中でも最古の前方後円墳で、古墳の中から5面の三角縁(さんかくぶち)神獣鏡(しんじゅうきょう)が発見されました。
発見された鏡には、椿井(つばい)大塚山古墳(京都府)や石塚山古墳(福岡県)と同じ型で作られた鏡が含まれ、畿内政権との強いかかわりがあった豪族の墓と考えられています。
宇佐市内の国指定史跡一覧
名称 | 指定日 | 所在地 | 内容 |
葛原古墳 | 昭和32年11月28日 | 大字葛原 | 古墳時代中期の大型円墳 |
四日市横穴群 | 昭和32年11月28日 | 大字四日市 | 装飾古墳を含む古墳時代終末期の横穴墓群 |
法鏡寺廃寺跡 | 昭和53年3月14日 | 大字法鏡寺 | 奈良時代に建立された古代寺院跡 |
川部・高森古墳群 | 昭和55年3月24日 | 大字川部、大字高森 | 前方後円墳6基を含む古墳時代前期から後期にかけての古墳群 |
宇佐神宮境内 | 昭和61年2月25日 | 大字南宇佐、大字日足、大字正覚寺 | 宇佐神宮の境内地及び御許山 |
小部遺跡 | 令和3年3月26日 | 大字荒木 | 古墳時代前期の豪族居館跡 |
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更新日:2021年03月26日