御許山
宇佐神宮から南6km余にそびえるこの山には、山頂に宇佐神宮の奥宮である大元神社(おおもとじんじゃ)が鎮座する。標高は647m。大元山・馬城峰とも称され、神代に比売大神が降臨になった神域とされている。
『宇佐八幡弥勒寺建立縁起』には、「八幡大神は欽明天皇の時代に宇佐の馬城峰に降り立った」と記されており、八幡大神がはじめて姿を現した場所ともされている。
かつては、霊山寺をはじめとする御許六坊(おもとろくぼう)と呼ばれる6つの坊寺が置かれ、六郷満山の元山として隆盛を極めた。
応永の古図
(室町時代)
宇佐宮境内図
(江戸中期)
八幡大神宮境内図
(明治6年)
大元神社の拝殿
Photo by miya.lonester
御許山の山頂に鎮座する大元神社は、八幡大神が小倉山に祀られる前の霊行の場所であったことからその名がある。
御祭神は宇佐神宮の二之御殿に祀られる比売大神(三女神)。社殿は拝殿のみで、山自体が本殿となっており、三体の巨石が御神体として祀られる神霊が宿る山である。拝殿の前には鳥居があり、そこから先は禁足地で宇佐神宮「奥宮」としての霊地である。
毎年、4月29日には山開きを兼ねた「大元神社例祭」が催され多くの参拝客でにぎわう。
かつて、大元神社と同じく御許山にあった御許六坊は、宇佐宮の神宮寺であった弥勒寺の末寺で、法華三昧を修する場所であった。国東半島に散在する六郷満山寺院群の元山であり、その発展の先駆けとして隆盛を極めた。今でも10年に一度行われる六郷満山僧侶の荒行「峯入り」は、大元神社で「護摩の儀式」を行うことからはじまる。
慶応4年(1868)の1月。幕末に起こった「御許山騒動」において、長州藩が佐田軍撲滅のため進軍。激しい戦闘となり、御許六坊の坊舎は焼失し、同年、明治政府によりに発令された神仏判然令によって再建されることはなかった。焼き払われた坊舎跡からは、いまだ炭化米が出土する。この「御許山騒動」で、佐田秀らが討幕謀議を行った重松邸(宇佐市安心院町)には、騒動時に掲げた錦の御旗が所蔵されている。
首なし地蔵
延命水
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更新日:2024年02月22日