白橋
宇佐神宮境内北、現在の神橋のやや上流にかかる橋。
古来、朝廷より宇佐神宮に勅使が派遣されるたびに木板橋を新設する習わしだったが、明治43年(1910)に擬宝珠欄干付きの石橋として白橋が架けられた。

白橋(明治43年)
寄藻川を渡り、宇佐神宮境内である神域に入るための橋はすべて神橋であるが、「白橋」という名称は、呉橋や現在の「神橋」と呼び分けるための通称名である。

白橋(明治43年)
新造された白橋の前に破損の激しい沈み橋が見える。
江戸時代末期の「宇佐宮絵図」には、現在の神橋の架かる場所には橋はなく、やや上流に青く塗られた橋が描かれている。

江戸末期「宇佐宮絵図」に描かれる白橋
「蓑虫山人絵日記」には、呉橋の下流に浅瀬川之橋と名付けられた橋が描かれている。蓑虫山人が宇佐の地を訪れた頃、ちょうど臨時奉幣祭(勅祭)が行われており、勅使参向のために架けられた木板橋を蓑虫山人が描いたのではないかと思われる。

「蓑虫山人絵日記」に描かれる白橋
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更新日:2023年03月27日