仲見世
仲見世(昭和30年頃)
昭和初頭まで宇佐神宮境内、現在の西参道沿いに旅館や宇佐飴屋、土産物屋などが連なる「神明町」という商店街があった。しかし、昭和の大造営(昭和7~16年)により、「神明町」は取り壊され、そこにあった商店街は現在の場所に移された。勅使街道沿いや他の場所から移ってきた店舗と合わさり、今の商店街の原型ができた。
現在の仲見世商店街には、土産店や食事処などの店が軒を連ね、宇佐飴や宇佐瓢箪、勝ちえび、酒など宇佐の特産品が売られている。また、宇佐からあげ、どじょう料理、がん汁、ねぎ焼きなど宇佐の郷土料理を食すこともできる。
ゆず
勝ちえび
宇佐飴
宇佐飴を伸ばす様子
(昭和30年頃)
麦芽や玄米、もち米などの原料を用い、優しい自然の甘味が愛され続けている宇佐神宮の名物飴。できたての宇佐飴は格別で、店頭で食べさせてくれる店もある。現在は丸い形状のものが主流だが、その昔は、店頭や屋台の店先で、木の枝に飴をかけて引っ張り、吊るして固めた飴を切った板状のものが売られていた。
応神天皇(八幡大神)の母君である神功皇后が、朝鮮出兵のあと、生まれたばかりの応神天皇に、母乳の代わりとして「御乳飴(おちちあめ)」(液状の宇佐飴)をひょうたんの中に入れてお与えになったとの由緒が伝えられており、この「御乳飴」が現在の宇佐飴の祖だと言われている。
宇佐瓢箪
連理瓢
瓢箪は液体の容器として縄文時代から使われており、日本人の暮らしとかかわってきた歴史は長い。
宇佐神宮には、神功皇后が応神天皇を育てるため、母乳を瓢箪(ひょうたん)に入れて飲ませたという伝承がある。以来、宇佐の地では瓢箪の栽培が盛んとなり、室町時代の遺跡からは瓢箪の種と果肉が発見されている。
「蓑虫山人絵日記」には2つの瓢箪がつながった「連理瓢」が描かれており、この瓢箪でつくられた器は七合入りの酒器で、きわめつけの珍品であった。
勅使街道沿いには創業百年になる瓢箪メーカーがあり、縁起物や土産物、さらには生活用品としてお皿や箸置き、調味入れ、花器、徳利などを瓢箪で製造している。
店舗ではこれらの瓢箪が小売りされており、工場の見学等もできる。
盃
調味入れ
箸置き
願掛け瓢箪絵馬
このメーカーでは、初盆家庭に飾る「豊前切子灯籠」と呼ばれる、この地域特有の灯籠の製造もおこなっており、地域の伝統を今に伝えている。
この灯籠は、切り彫り細工を施した和紙を掛け軸のように四方に下げ、同じく切り彫りした火袋の中にロウソク(現在は電球)を入れ、切り彫り細工を浮き出させる派手さが特徴である。
酒
神社では神に仕える酒を総称して神酒(みき、しんしゅ)と呼ぶ。
「お神酒上がらぬ神はなし」と言われるほど、お酒は祭礼や神棚などにおいて神様へのお供えには欠かせないものである。祭典の最後に行う直会(なおらい)という儀式では、祭典に奉仕した者がお供えされた神酒を拝戴(はいたい)する。これは神様が召し上がったものを同様に飲食することで、神々の恩頼(みたまのふゆ)を頂くことができるという「神人共食」という考えである。
八幡大神のご神威を大切にする酒造家では、新酒の仕込みをする時期に醸造の安全を願い神事を行う。また醸造を終えた際には、報恩感謝の祭典も行われている。
宇佐市は広大な穀倉地帯を有し、宇佐平野で作られる米と麦、さらに豊富な水源があったことで、昔から酒造りが盛んにおこなわれてきた。現在、市内には7つの酒蔵があり、その数は県内一を誇る。
平成29年、市内7つの酒蔵が集結し、JYOKAS∞(ジョッカス)とういう団体を設立。宇佐で造られる日本酒・焼酎に関する情報発信や酒文化の振興、そして地域貢献のため活動している。
この記事に関するお問い合わせ先
都市計画課 景観・公園整備係
〒879-0492 大分県宇佐市大字上田1030番地の1 本庁舎2階
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更新日:2024年02月07日