横綱 双葉山

更新日:2024年02月07日

双葉山の手形

前人未到の69連勝を成し遂げた昭和の大横綱「双葉山」は、連勝中の昭和13年11月、宇佐神宮に土俵入りを奉納。横綱昇進を奉告し、故郷に錦を飾った。

明治45年(1912年)2月9日、現在の宇佐市下庄の生まれ。成績優秀でスポーツ万能、体は大きいがケンカやイタズラをしない、意外にも相撲が苦手な子供だったと言う。しかし、父親の船の仕事を手伝うことで強靭な足腰とバランス感覚を身につけ、それが横綱への土台となっていった。

幼少の頃、右目を失明する事故に遭遇、11歳の頃には父親の家業(海運業)の手伝いをする際、右手小指の一部をウィンチに巻き込みつぶしてしまうという二つの大きなハンディは、あまり知られていない。

そのハンディにも関わらず、だれにも悟られぬよう人一倍稽古に励みつくった、69連勝という大記録だった。

双葉山横綱昇進までの年譜

大関時代の双葉山

大関時代の双葉山

昭和 2年(1927年)15歳。

立浪部屋へ入門。

3月に初土俵。

昭和 6年(1931年)19歳。

5月、新十両昇進。

昭和 7年(1932年)20歳。

2月、特進で新入幕。

昭和11年(1936年)24歳。

1月、前頭三枚目。

この場所7日目より、69連勝がはじまる。

5月、新関脇で全勝優勝し、大関昇進。

昭和12年(1937年)25歳。

1月、5月を全勝優勝し、場所後推挙され第35代横綱となる。昭和以降、大関を全勝し、横綱に昇進したのは双葉山のみ。

昭和13年(1938年)26歳。

11月、宇佐神宮で横綱昇進奉賽祭をとりおこない、横綱昇進を奉告。

横綱昇進奉賽祭

一之御殿の前で土俵入りを奉納する双葉山

一之御殿の前で土俵入りを奉納する双葉山

神事にのぞむ双葉山

神事にのぞむ双葉山(左)

奉納相撲

奉納相撲

左三つ巴が刺繍された化粧まわし

左三つ巴が刺繍された化粧まわし

双葉山が横綱に昇進し、宇佐神宮で斎行された横綱昇進奉賽祭では、八幡大神が祀られる一之御殿の御前で土俵入りが奉納された。

その際、双葉山は宇佐神宮の社紋である「左三つ巴」が刺繍された化粧まわしをしめて雲竜型を披露した。

奉納土俵入りの後には奉納相撲が宇佐神宮境内で行われた。10番の取組が行組まれ、双葉山は「そとがけ」で前田山に勝利した。

横綱昇進奉賽祭を終えた双葉山は、横山秀雄宮司邸に一泊。翌日は、宇佐郡内小中学校の記念相撲大会に出席。その後、次の興行地である別府市に向かった。

 

小中学校相撲大会での記念写真

小中学校相撲大会の記念写真(西中門前)

宇佐神宮と相撲

八幡古表神社で奉納される神相撲

八幡古表神社で奉納される神相撲

宇佐神宮と相撲の関わりは深い。

奈良時代、朝廷に反旗をひるがえした隼人討伐に八幡大神が尽力した際、傀儡子(くぐつ) と呼ばれる操り人形による舞や相撲を見せることで油断させ、討ち取ることに成功した。その後、失われた隼人の御霊を鎮めるために行われるようになった放生会(仲秋祭)では、和間の浮殿にて傀儡子の神相撲が奉納された。この放生会での神相撲は、やがて全国の八幡社へ伝わった。

宇佐神宮境内の弥勒寺跡地には、平成10年まで相撲場があった。現在、宇佐市総合運動場相撲場で毎年開催されている、全国選抜大学相撲大会(5月)、全国高校相撲大会(9月)は、平成の初めごろまで宇佐神宮の相撲場で開催されていた。

宇佐神宮上空の航空写真(昭和37年)

宇佐神宮上空の航空写真(昭和37年)

宇佐神宮特設相撲場で行われる大学相撲(昭和30年代)

宇佐神宮特設相撲場で行われる大学相撲(昭和30年代)

第一回全国高校相撲大会(昭和31年)

第一回全国高校相撲大会

(昭和31年)

第二回全国高校相撲大会(昭和32年)

第二回全国高校相撲大会

(昭和32年)

昭和40年代には、後の横綱「輪島」が日大の選手として出場し、「学生横綱」として大活躍した。

優勝した日大、前列左は輪島(昭和42年)

優勝した日大、前列左は輪島

(昭和42年)

個人戦2年連続優勝を果たした輪島(昭和44年)

個人戦2年連続優勝を果たした輪島

(昭和44年)

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