市長コラム「邪馬台国~清張の推理~ その2」(令和6年8月号)
邪馬台国~清張の推理~ その2
『古代史疑』松本清張著 中公文庫
東大の榎一雄(えのきかずお)教授は、伊都国(いとこく)までの記述と伊都国からの記述方法が異なっていることに着目、伊都国を起点とする放射式読み方を提唱しました。「水行十日、陸行一月」は伊都国から邪馬台国までの距離という訳です。清張も記述方法の差を指摘し賛同しています。
『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に戻ります。「邪馬台国の南には狗奴国(くなこく)があり、敵対関係にある。かつて男の王が統治していたが、七、八十年も戦乱が続いた。鬼道を操る卑弥呼が王に立つと平和が訪れ、邪馬台国より北の三十余りのクニと連合している」
「二三九年、卑弥呼は難升米(なしめ)らを使節として魏に派遣。生口(せいこう)(奴隷)十人を捧げ、返礼として「親魏倭王」の金印、銅鏡百枚などをもらった。伊都国には一大率(いちだいそつ)(役割などは諸説あり)が置かれている」
「二四七年、狗奴国との対立が激化したため、卑弥呼は魏の帯方郡に窮状を訴えたが死去。その後、男王が治めたものの、再び国が乱れ、同族の娘である十三歳の台与(とよ)が立つと収まった」などとなっています。
清張は『古代史疑』で次のように推理します。1.『魏志倭人伝』の方向は古代航海者の感覚をもとにしており、方角を誤ることはない。2.里数や戸数は陰陽五行説による虚数でこだわる必要はない。3.伊都国の一大率は魏から派遣された軍政官で、実際に伊都国まで来ていた。気になる結論は次号で。
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更新日:2024年07月24日