市長コラム「福澤諭吉エピソード その3」(令和6年6月号)

更新日:2024年05月22日

福澤諭吉エピソード その3

福澤諭吉翁 肖像

福澤諭吉翁 肖像

明治5(1872)年、諭吉は『学問のすすめ』初編を刊行します。これは中津市学校開設にあたり、中津の若者のために書いたもので全17編、300万部を超える大ベストセラーとなりました。ちょうど学制が発布され、学問教育をすすめる趣意書として読まれた背景があるとはいえ、当時の日本の人口が約3000万人だったことを考えると、驚異的な数字と言わざるを得ません。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。有名な『学問のすすめ』の冒頭です。どの人も等しく人間の尊厳と価値をもって生まれるという意味です。しかし、諭吉は言います。「賢い人間と愚かな人間がいる、貧乏な者と金持ちがいる、身分の高い人と低い人もいる」と。そして「その有様は天と地ほども違っているように見えるのは何故か?」それは「学問をするかしないかで決まる」と言うのです。諭吉の言う学問とは日々の生活に役立つ実学(読み書きなど)のことです。だから「学問をすすめ」たのです。

明治34(1901)年、66歳で諭吉は永眠します。ちょうど江戸時代と明治時代半々の生涯でした。混乱期にあった幕末から明治時代、日本の近代化が進んだのは、諭吉が唱えた西洋の文明や知識を積極的に取り入れた結果といえます。私たちが慣れ親しんだ一万円札は姿を変えますが、その功績は永遠に光り輝くものと確信しています。

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