市長コラム「福澤諭吉エピソード その2」(令和6年5月号)

更新日:2024年04月24日

福澤諭吉エピソード その2

福澤諭吉とアメリカ少女

福澤諭吉(数え27歳)とアメリカ少女

安政5(1858)年、不平等条約であった日米修好通商条約により横浜が開港されると、諭吉は早速、横浜を訪れました。しかし、懸命に学んだ蘭語が通じません。これからは英語の時代だと悟った諭吉は直ちに英語に切り替えます。

独学で猛勉強のすえ英語をマスターした諭吉は、万延元(1860)年、幕府使節の派遣に際し「咸臨丸(かんりんまる)」に軍艦奉行の従者として乗り込み、渡米する機会を得ます。さらに2年後、幕府使節の一員としてヨーロッパ諸国を歴訪し、議会や郵便制度、銀行、病院、学校などさまざまな社会施設を見聞しました。その際、諭吉は克明な日記やメモを残しています。

この記録をもとに、慶応2(1866)年、刊行したのが『西洋事情』初編です。足掛け5年、全10冊となりますが、西洋諸国の経済の実情や学校教育、病院から電信機、ガス灯に至るまであらゆる施設や制度を紹介しています。一般国民の西洋に対する認識を深めさせたばかりでなく、五箇条の御誓文への影響も指摘されています。    

特筆すべきは西洋の諸制度紹介に当たり、諭吉は新しい言葉を生みだしたことです。「経済」「演説」「自由」などがその代表例です。『西洋事情』は漢字文化圏の中国や韓国の知識人にも大きな影響を与え、諭吉の新語は現在でも共通語になっています。続く。

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