市長コラム「御用木雲右衛門」(令和3年7月号)
御用木雲右衛門
錦絵(県立歴史博物館所蔵)
ここに江戸時代の化粧まわし姿の錦絵があります。力士の名は御用木雲右衛門(ごようぼくくもえもん)(以下、御用木という)。御用木は文化6年(1809年)、宇佐市下乙女に生まれました。西国郡代(さいこくぐんだい)・塩谷大四郎(しおのやだいしろう)の目に留まり、江戸の玉垣額之助(たまがきがくのすけ)に弟子入り。身長188センチメートル、体重120キログラム「天下無双の大力士」という名声を得ました。昭和の大横綱·双葉山より百年も前の話です。
天保12年(1841年)、12代将軍徳川家慶の上覧相撲で、大関·を不知火諾右衛門(しらぬいだくえもん)を破り江戸中を沸かせ、天保15年10月場所7勝1分の成績で翌年、関脇に昇進。大関が視野に入った時、事件が起きます。
「藤岡屋日記」によると《弟子が顔見知りに借金を申し込んだところ断られ喧嘩となった。その恨みから寝込みを襲われ、同居していた御用木も巻き添えを食い、頭部や顔面など21針を縫う大けがを負った》とのことです。事件の後遺症は大きく、その後、成績は下降気味となります。
安政3年(1856年)、中津で開催された相撲興行で小結の番付表が残っており、引退後は故郷で悠々と過ごしたとのことです。明治に入り出身地に立派な顕彰碑が建立されるとともに、寺には今も墓が残っています。なお、本テーマは故河野(かわの)康臣氏から執筆依頼を受けておりました。謹んで本稿を捧げます。
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更新日:2023年04月06日