市長コラム「軍司官兵衛の夢 その3」(令和2年12月号)

更新日:2020年11月25日

軍司官兵衛の夢 その3

官兵衛から軽率な行動を慎むよう指示されていた別働隊でしたが、大友勢撃退で勢いに乗る城内は「今が好機」と本隊を待たずに追撃します。9月13日、黒田・細川連合軍4000が実相寺山に陣取ると、大友義統(よしむね)も立石城を出て石垣原に布陣。その数3000。

大友勢先鋒の吉弘統幸(むねゆき)が先陣を切れば、打倒大友氏に燃える時枝平太夫(へいだゆう)も応戦。統幸の奮戦により黒田・細川勢は実相寺山に追い詰められますが、疲れの見えた大友勢に必死の反撃、統幸らの討死で大友勢は総崩れとなります。九州の関ヶ原と呼ばれる石垣原の戦いです。

大友義統が剃髪して投降した9月15日、奇しくもこの日、関ヶ原で決戦が行われ、わずか1日で東軍が勝利。『まさか』官兵衛は天を仰ぎますが『戦後処理が終わるまで盗れるものは盗っておく』と精力的に動きます。豊後国を平定すると、豊前小倉城、筑前秋月城、筑後久留米城、柳川城を陥落させ、加藤清正らの軍勢と合流。西軍小西行長の宇土城も落とし、水俣で島津軍と対峙した11月、家康から停戦命令が下ります。『終わったか』官兵衛の夢は潰えました。

関ヶ原の戦いの功により長政が筑前52万石に加増転封されると、平太夫も従い、上席家老として藩政に貢献。現在は北九州市鳴水の地で眠っています。

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