市長コラム「軍師官兵衛の夢 その1」(令和2年10月号)
軍師官兵衛の夢 その1
今月号から、天下を統一した豊臣秀吉の軍師として名高い官兵衛(黒田孝高(よしたか)、後に如水(じょすい))の豊前国における活躍をお話しします。天正15年(1587年)、九州征伐の功により豊前六郡十二万石を与えられた官兵衛はまず時枝城において主人・親などへの反逆、殺人・窃盗、隠し田・過少申告を罰する旨のお触れを出します。また、検地・刀狩により石高(こくだか)把握と兵農分離を進めるとともに、本拠地として中津城を、豊後国からの守りとして高森城を構築します。
時枝城は時枝平太夫鎮継(へいだゆうしげつぐ)の居城です。平太夫は知勇兼備の武将で弥勒寺の寺務職でしたが、大友宗麟の正室の実家である奈多鑑基(あきもと)が宇佐神宮領を横領したことなどから大友氏に反発。大友系武将と再三戦うも敗れ、小早川氏に身を寄せます。九州征伐で官兵衛に協力、豊前入部の際、与力となり旧領回復、時枝城を提供しました。
しかし検地・刀狩などの急激な改革や築城に伴う夫役(ぶやく)などで地侍の不満が爆発、豊前国一揆が発生します。一揆衆は黒田方の平太夫や宇佐神宮宮司の宮成公基(きんもと)などを攻めますが、官兵衛の実弟で高森城主の黒田利高などの反撃により鎮圧します。その後、官兵衛は大友氏により焼き払われた宇佐神宮に三百石を寄進、上宮二之御殿を造営・修復するなど地元対策に腐心します。次号へ続く。
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更新日:2023年04月06日