市長コラム「赤塚古墳と小部遺跡 その1」(令和2年8月号)

更新日:2023年04月06日

赤塚古墳と小部遺跡 その1

赤塚古墳

県立歴史博物館がある宇佐風土記の丘の中に、国史跡の川部・高森古墳群があります。3世紀末から6世紀にかけて造られた6基の前方後円墳を中心に、約120基の円墳や周溝墓が集中しています。


このうち赤塚古墳は推定墳長約58m、3世紀末に築造された九州最古の前方後円墳の一つです。大正10年、箱式の石棺から三角縁神獣鏡等5面や鉄刀などが出土しています。三角縁神獣鏡はヤマト政権が各地の首長に与えたものと考えられており、椿井(つばい)大塚山古墳(京都府)や石塚山古墳(福岡県)と同じ鋳型で製作されています。


なお、三角縁神獣鏡は邪馬台国の卑弥呼が魏からもらった銅鏡百枚の一部で、赤塚古墳は卑弥呼の墓ではないかという説があります。魅力的な話ですが、赤塚古墳の築造時期は卑弥呼が銅鏡をもらった239年より半世紀余り後であることなどから説得力にやや欠けるようです。

赤塚古墳などの被葬者は、古墳時代に宇佐地方を支配していた宇佐国造家(くにのみやつこけ)の一族と考えられています。ヤマト政権の九州支配の最前線に位置した宇佐の地に前方後円墳を築造することで、九州の豪族たちにヤマト政権のパワーを見せつけたのです。

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