市長コラム「蓑虫山人 その1」(令和2年5月号)
蓑虫山人 その1
蓑虫山人(みのむしさんじん)は天保7年(1836年)、美濃(今の岐阜県)に生まれ、本名を土岐源吾(ときげんご)といいます。14歳の時、母と死別、放浪の旅に出ます。美濃出身と風雨に耐えて枝にぶら下がる蓑虫になぞらえて「蓑虫山人」と号しました。勤王の志士でもあり、同志と共に生野銀山に尊王討幕の義挙を決行するも敗れています。
宇佐市へは元治元年(1864年)5月から約3カ月間、大庄屋であった麻生村の山口家に滞在し絵日記を残しています。旧宇佐市初代市長の山口馬城次氏は、絵日記の複製発行によせて《当家に身を寄せていた間、彼は宇佐神宮を初めとするこの地方の名所旧跡、文人墨客を訪ねては、その印象を画帖にしたためています。それには江戸時代末期の風物と世相が活写されており、文化財としての高い内容を有しております》と記しています。
絵日記から宇佐市における蓑虫山人の足跡を辿ってみます。名所旧跡としては、宇佐神宮、御許山、東椎屋・福貴野の滝、中津城、羅漢寺、耶馬渓などを訪れ、宇佐神宮奉幣祭(勅祭)も見学しています。文人墨客では、猿渡村の医者である筧白雅、日本三大本草学者の一人である賀来飛霞宅などを訪問しています。
次回は絵日記の様子などを紹介します。
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更新日:2023年04月06日