市長コラム「米神山と佐田京石」(令和2年3月号)

更新日:2023年04月06日

米神山と佐田京石

佐田京石

安心院のむかし話2010によりますと《「この石が100個落ちたところに京(みやこ)をつくろう」と天の神様たちが話し合い、人間なら持つことができないほど重く長い石を軽々と地上に投げ下ろした。米神山の神様は自分の土地に天の石が突きささるのを見て「ここが京になったら人が大勢来てうるさくてかなわん」と一計を案じ、石が99まで落ちてきたところで汚いなりをした醜い女に化け、ゆっくり道を歩いた。それを見た天の神様たちは「あ~佐田はやめよう」と言って、あと1つの石を落とさなかった。そのため佐田は京にならなかった(要約)》と記されています。

米神山には日本最大級の環状列石(ストーンサークル)である「佐田の京石(きょういし)」など多数の巨石群があります。いつ、誰が、何のために造ったのか、全くの謎ですが、稲作に係る宗教的祭祀(さいし)の場であったことは衆目の一致するところです。

このむかし話ですが、天の神を外部勢力、米神山の神を佐田勢力と置き換えると、外部勢力が生産力の高い佐田地域を京にしよう、つまり支配しようとしたが、佐田勢力が汚い醜女に化けるなど抵抗、ぎりぎりのところで地域を守った話とも思えます。今年も、米神山巨石祭が開催されますが、さらに想像を巡らせたいと思います。

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