市長コラム「南一郎平 その2」(令和2年2月号)
南一郎平 その2
去る1月19日、広瀬県知事(広瀬久兵衛の子孫)揮毫(きごう)による広瀬井路通水記念碑の除幕式が行われました。隣に設置された碑文には、南一郎平の座右の銘として「一日学」と「自彊不息(じきょうふそく)」の言葉が刻み込まれました。一日学とは、今日一日だけはと努力し続けると一生続けて学ぶことができること、自彊不息とは、休みなく努力し自己を強化することと解説されています。
1875年(明治8年)当時内務省勧農局長であった松方正義(後の内閣総理大臣)は、広瀬井路を完成させた一郎平の手腕を高く評価、内務省農務課へ招きます。単身上京した一郎平は、安積(あさか)疏水(福島県)、那須疏水(栃木県)、琵琶湖疏水(滋賀県~京都府)を担当します。安積疏水や那須疏水は廃藩置県や秩禄(ちつろく)処分などにより収入を失った士族の救済策、また、琵琶湖疏水は都が東京となって衰退してゆく京都の産業振興策でした。国家プロジェクトであるこれらの疏水を手掛けた一郎平は、日本三大疏水の父と呼ばれています。
一郎平が故郷のために培った手腕は近代国家建設のために発揮されたのです。座右の銘にある通り、今日一日学ぶという心構えを休まず続け、自己を強化した一郎平。まさに人を豊かにすることに生涯を捧げた人でした。
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更新日:2023年04月06日