市長コラム「南一郎平 その1」(令和2年1月号)
南一郎平 その1
2019年は日本三大疏水の父、南一郎平の没後100年、また、2020年は広瀬井路の通水150年にあたります。この節目の年に一郎平の功績を讃え、恩恵に感謝しようと、記念碑建立、講演会開催などが取り組まれます。
駅館川の東側は川面より高い台地のため水が乏しく、江戸時代までは畑作にしか利用できませんでした。その一帯に現在広大な水田が広がっているのは広瀬井路が豊富な水を運んでいるからです。この井路を完成させたのが南一郎平です。
広瀬井路は、1751年から工事が試みられました。金屋の庄屋であった一郎平の父も3度目の工事に関わりましたが、果たせず息子に託します。父の遺志を受け20代半ばで工事再開を決意した一郎平は、同志を集め、周囲を説得し、資金調達に奔走します。日田の豪商広瀬久兵衛は一郎平の人柄にほれ込み莫大な資金を援助しました。
難工事が続く中、明治維新を迎え工事は中断。一郎平は明治政府の日田県知事・松方正義(後の内閣総理大臣)に掛け合い、公共事業として工事は続行されます。そして1870年、工事着手から120年の歳月を経て遂に初通水。この間、私財を投げ打ち、手形未決済の罪で2度入牢した一郎平でした。次回に続く。
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更新日:2023年04月06日