市長コラム「道鏡事件と和気清麻呂 その2」(平成31年4月号)

更新日:2023年04月06日

道鏡事件と和気清麻呂 その2

清麻呂公の船繋ぎ石

和気清麻呂は備前国(岡山県和気町)出身で称徳天皇の側近の尼僧・和気広虫の弟にあたります。虚弱な姉に代わり大役を担うことになった清麻呂に弓削道鏡は「吉報をもたらせば大臣にしてやる」と囁きます。一方、道鏡の師は清麻呂に「道鏡が皇位に就くなど面目なし、臣下として仕えることなどできない」と中国の故事を引き合いに嘆きました。

海路宇佐入りした清麻呂が、宇佐神宮の大尾山で神託を確認したところ、大宰府からもたらされた奏上通りの内容でした。清麻呂はどうしても納得できず「国家の大事、神意を示せ」と念じると、大神が姿を現し「我が国では君臣の関係は決まっている、家臣が天皇になることなど無い、無道の者を排除せよ」と告げたのです。

奈良に戻った清麻呂がその通り報告すると、称徳天皇と道鏡は激怒、和気清麻呂を別部穢麻呂と改名のうえ大隅国に流罪とします。道中、道鏡が清麻呂殺害を企てますが、猪300頭が現れ清麻呂を守ったと言われています。翌年、称徳天皇が没すると道鏡は失脚しますが、最近では道鏡への悪評は事実と認め難く、再評価する説も有力です。

なお、舞台となった奈良市、道鏡の出身地である八尾市、清麻呂の出身地である和気町、そして宇佐市は互いに友好交流都市となっているほか、災害時相互応援協定も結んでいます。

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