市長コラム「新田開発と竜宮島」(令和元年9月号)
新田開発と竜宮島
高家小学校の開校130年を記念して、平成25年に発刊されたふるさと再発見によりますと「高家海岸の堤防沿いに竜宮様という祠(ほこら)があり、海大神玉璽(うみおおかみぎょくじ)と書かれた石が収められている。塩谷(しおのや)大四郎代官、広瀬久兵衛がこの地から始めた新田・塩田開発の安全を祈願して建てられた」とあります。
江戸時代、九州全域を司る西国筋郡代トップとなった塩谷大四郎は、文政7年(1824年)日田の豪商広瀬久兵衛と組んで、浜高家新田から久兵衛新田まで十新田、約200町歩をわずか10年で開発しました。この直前の文化7年(1810年)実測により日本地図を完成させた伊能忠敬が宇佐入りしています。忠敬の地図は新田開発前ですが、現在の海岸線とほぼ一致するばかりか、竜宮様の沖合に今は存在しない竜宮島という島まで明記されています。なお、この竜宮島は明治時代に陸軍が作成した地図でも確認できます。
《塩谷は今の海岸線まで半ば陸地化していた干潟に土嚢(どのう)などにより潮を遮断、水路を引き短期間で広大な農地を開発。砂山だった竜宮島は新田開発後、潮の変化により消滅した》というのが私の推論です。皆様から忌憚(きたん)のないご意見をお寄せいただければ幸いです。
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更新日:2023年04月06日