市長コラム「大岡越前と東西別院」(平成30年8月号)

更新日:2023年04月07日

大岡越前と東西別院(H30.8月号)

戦国時代、四日市を治めていた豪族の渡辺氏は、戦乱に明け暮れる世の中をはかなみ、一向宗(浄土真宗)に帰依、真勝寺を興します。真勝寺は年々寺勢を増し、江戸時代には九州東本願寺派の重鎮として栄えます。

18世紀半ば11世宗順の時、宗順の素行や西本願寺への改宗問題などを巡って騒動が起こります。反宗順派は後継者をたてて宗順を隠居に追い込み寺を輪番制とします。対する宗順派は西本願寺派の支援も得て実力で寺を奪還、反宗順派は幕府に訴えます。裁いたのはテレビなどでおなじみの大岡越前守忠相です。

7年間におよぶ騒動の結末は次の通りです。(1)宗順ら首謀者は島流し(2)門徒1300人の西本願寺改宗を許可(3)真勝寺は公儀没収。(1)で反宗順派に名を(2)で宗順派に実を取らせ(3)で幕府の威厳を示しました。翌年、真勝寺は東本願寺に下付され、東別院となります。フランチャイズ店から本社直営店となった訳です。宗順派も対抗して幕府に働きかけ、2年後、西別院が成立。両別院とも九州御坊として隆盛を極めます。まさに名裁きといえましょう。「これにて一件落着」大岡越前の高笑いが聞こえてきそうです。

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