宇佐市での平和学習について

更新日:2021年09月24日

宇佐海軍航空隊跡を活用した平和学習をサポートします

本市には、宇佐海軍航空隊が存在したことから、戦争の歴史を現在に伝える戦争遺構が航空隊跡を中心に多く残っています。

本市では、「平和の大切さと命の尊さ」について感じ考える機会の創出を目的に宇佐海軍航空隊跡を活用した平和学習を推進しており、平和学習の充実を図るためのサポートも行っています。

詳細は、添付のリーフレットをご覧ください。

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宇佐で学べる戦争の歴史

宇佐海軍航空隊は日本有数の練習航空隊

宇佐海軍航空隊は、昭和14年(1939)10月1日、実用機を用いた訓練を担当する練習航空隊として開隊しました。

訓練には、航空母艦で発着する艦上攻撃機(通称:艦攻)、艦上爆撃機(通称:艦爆)が使用され、戦地に向かう搭乗員のほとんどが宇佐で訓練を行ったことから、「艦攻・艦爆のメッカ」と呼ばれていました。

真珠湾攻撃とのつながり

昭和16年(1941)10月からは、真珠湾攻撃に参加する航空母艦「(しょう)(かく)」「(ずい)(かく)」の艦上攻撃隊が宇佐で訓練を行っていました。

真珠湾攻撃の第一弾を投下したといわれている高橋赫一(かくいち)少佐は、宇佐海軍航空隊の初代艦爆飛行隊長でした。

宇佐からも出撃した特攻隊員

太平洋戦争末期、戦局の悪化に伴い、特別攻撃隊(通称:特攻隊)が編成されるようになり、宇佐海軍航空隊も昭和20年(1945)2月に特攻訓練が命じられ、3月には実戦部隊となりました。

宇佐海軍航空隊では神風特別攻撃隊「八幡(はちまん)()(おう)隊」が編成され、4月2日以降、出撃基地がある鹿児島県へ移動し、最後の出撃命令を受け、沖縄方面への特攻作戦に出撃しました。

宇佐海軍航空隊からは、延べ9隊102機193名が出撃し、8隊81機154名が亡くなりました。

人間爆弾「桜花」と宇佐

「桜花」とは、頭部の1.2トンの爆弾に木製の翼をつけた小さな機体で搭乗員もろとも体当たりする特攻兵器で、人間が爆弾の誘導装置となることから、「人間爆弾」とも呼ばれていました。(昭和19年11月完成)

自力で離陸ができず、母機となる「一式陸上攻撃機」に吊り下げられて運ばれ、投下後の生還は不可能でした。この「桜花」を運用する航空特攻専門部隊が第721海軍航空隊(通称:神雷部隊)です。

昭和20年(1945)3月18日、宇佐基地の神雷部隊は最初の出撃命令を受けましたが、離陸直前に米軍機による空襲を受けたため出撃は中止となりました。その後、神雷部隊は鹿児島の基地から出撃を続け、829名が犠牲となりました。宇佐には多数の「桜花」が配備されましたが、終戦まで宇佐からの「桜花」の出撃はありませんでした。

今に残る空襲の爪あと

昭和20年(1945)3月18日、宇佐は米軍艦載機による最初の空襲を受けました。同年4月21日には米軍の爆撃機「B29」による初空襲で、航空隊関係者だけでも300人以上、民間人を含めると500人近い犠牲者が出たといわれています。

宇佐海軍航空隊は昭和20年5月に解隊しましたが、宇佐への空襲は断続的に行われ、終戦までの間に計11回の空襲を受けました。

平和学習用リーフレット

戦争遺構についてはこちらをご覧ください

平和学習に関するお問い合わせ先

宇佐市教育委員会 社会教育課

文化財係 TEL:0978-27-8199

平和ミュージアム建設準備室 TEL:0978-27-8200

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社会教育課 平和ミュージアム建設準備室
〒879-0492 大分県宇佐市大字上田1030番地の1 本庁舎3階

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