大楽寺

更新日:2024年02月21日

大楽寺の山門

大楽寺(だいらくじ)

大楽寺は鎌倉時代末1333年に、宇佐宮大宮司である到津家の菩提寺として創建された。開基は大宮司到津公連、開山に奈良西大寺の道密上人を招請した。建武と年号を改めた後醍醐天皇は、宇佐宮に鎮護国家を祈念され、大楽寺を勅願寺とした。当初は奈良西大寺の末寺で真言律宗、現在は高野山真言宗である。持仏堂には歴代大宮司の位牌が祀られ、裏山にはその墓地がある。宇佐宮の僧侶養成の寺と、その葬送を行う寺の意を兼ねて「おくり坊」とも言われた。

大楽寺「持仏堂」

大楽寺「持仏堂」

大楽寺「本堂」

大楽寺「本堂」

大楽寺の本堂は、歴史ある7体の重要な仏像を安置するために建立された。ご本尊は、1.4mの弥勒仏像である。その左右に、大妙相菩薩と法苑林菩薩というほぼ対称的な2体の弥勒の脇侍(随伴者)の像がある。現在の弥勒は修行を行っており、遠い将来に釈迦の後継者として次の仏となってこの世に現れると言われている。大楽寺にある像は、弥勒菩薩を悟りを開いた如来の姿で表しており、右手は恐怖を払拭する仕草で持ち上げられ、左手は手の平を下にして膝に置かれている。この三尊は、弥勒を四つの方角から守護する天王である、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)、多聞天(北)に取り囲まれている。すべての像は、平安時代(794–1185年)後半に寄木造という技法により檜から作られており、国の重要文化財に指定されている。

本尊「弥勒仏」とその脇侍「大妙相菩薩」、「法苑林菩薩」

本尊「弥勒仏」とその脇侍「大妙相菩薩」、「法苑林菩薩」

増長天と広目天

増長天と広目天

持国天と多聞天

持国天と多聞天

五鈷杵と般若心経の巻物

五鈷杵と般若心経の巻物

 大楽寺には他にも多くの貴重な寺宝がある。本堂には、開祖である道密上人が使用していたと伝えられる五鈷杵(仏事に使う鎚)や、その一部が真言宗の開祖である空海(弘法大師774–835)によって書かれたとされる般若心経の巻物が展示されている。持仏堂には、6本の腕を持つ姿で表現された慈悲の菩薩の如意輪観音像が安置されている。寺伝によるとこの仏像は、平安時代末期の叙事詩である平家物語にも登場する平重盛(1138–1179)のものであったとされている。

大師堂・護摩堂は、護摩行を修する場所であり、その中には不動明王像や、空海の像、小さな88体の仏像がある。この小さな仏像は、1体ずつが四国遍路で巡礼される空海ゆかりの88カ所の霊場1箇所に相当する。このほか境内には、石造の菩薩や明王などの仏像や石塔が数多く置かれており、鐘楼にある「永徳在銘梵鐘」は南北朝時代1382年に造られたもので、大分県で2番目に古いの国産の梵鐘である。

大師堂・護摩堂

大師堂・護摩堂

石造りの仏像

石造りの仏像

永徳在銘梵鐘

永徳在銘梵鐘

大楽寺は宇佐神宮のすぐ北、神橋から徒歩約5分のところにあり、境内の観覧は自由。

本堂への入場は有料だが、住職の詳しい解説を聞きながら観覧することができる。

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都市計画課 景観・公園整備係
〒879-0492 大分県宇佐市大字上田1030番地の1 本庁舎2階

電話番号:0978-27-8181
ファックス:0978-32-2331

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