市長コラム「大砲を造る その3」(令和5年12月号)

更新日:2023年11月15日

大砲を造る その3

賀来惟能の肖像画提供

賀来惟熊の肖像画

鉄製大砲の製造には、鉄を溶かすための反射炉が必要です。惟熊(これたけ)たちは陶土に砂と石灰を混ぜた三和土(たたき)を焼成し耐火煉瓦(れんが)を作り、佐田神社内に反射炉を完成させますが、火力不足により鉄が上手く溶けません。

途方に暮れていた時、鉄製大砲の製造に成功した佐賀藩の炉には空気を送り込む「たたら」があるとの情報が入ります。反射炉に「たたら」を追加設置するとともに、燃料も堅炭(かたずみ)に替えると火力がアップし鉄が溶け始めます。試射した鉄製大砲がごう音を響かせると、惟熊は呟きます。《やった。俺たちだけの力で》事業開始から2年後のことです。

完成した鉄製大砲は当時の技術の粋(すい)を集めたもので、民間の力だけで造り上げたことは、日本史上の快挙と言うほかありません。惟熊たちは鉄製大砲を島原藩に納入する一方、青銅砲も引き続き日出藩に納めます。その後、評判を聞いた各藩から注文が相次ぎ、順調に大砲製造が行われるとともに、息子たちは技術者として各藩からの招聘(しょうへい)を受けました。

しかし、1866年、第2次長州征伐が発生し、政情が不安定になると、惟熊は反射炉を壊します。何故か、諸説ありますが、私は村人や地域のことを1番に考える惟熊の行動などから見て、日本人同士の争いに自身の大砲が使用されることが耐え難かったのではないかと想像しています。

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