市長コラム「大砲を造る その1」(令和5年10月号)

更新日:2023年09月15日

大砲を造る その1

佐田反射炉鉱滓展示施設

佐田反射炉鉱滓展示施設

令和4年9月、安心院町佐田地区まちづくり協議会が佐田神社内に設置した、鉱滓(こうさい)(銑鉄(せんてつ)を溶かした際に出るスラグ)展示施設のお披露目式がありました。江戸時代末期、この地の有力者であった賀来家が鉄製大砲を造った際、出たものです。莫大な資金や技術力を必要とする大砲造りは、藩主導が一般的でしたが、佐田地区では賀来惟熊(これたけ)と次男惟準(これのり)を中心に民間の力だけで造られました。

きっかけは1840年、清国と英国との間で勃発したアヘン戦争です。当時、英国の東インド会社は、清国から陶磁器や大量の紅茶などを輸入していましたが、輸出品は時計や望遠鏡など高級品にとどまり、大幅な貿易赤字に陥っていました。

赤字解消のため、英国は清国が禁止していたアヘン(けしの花からとれる麻薬の一種)を売りつけます。やがて清国内にアヘンがまん延し、支払代金として多額の銀が流出します。清国が英国商人からアヘンを没収・焼却すると、英国は反発、戦争へと発展します。大砲などの火力に勝る英国は、2年後、清国に勝利し、香港の割譲や治外法権などの不平等条約を締結させました。

驚いたのは江戸幕府。海防強化の必要性を強く認識し、西洋式砲術を取り入れた軍制改革に着手するとともに、各藩にも海防や軍備の強化を命じたのでした。続く。

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