市長コラム「空襲と特攻 その3」(令和5年5月号)

更新日:2023年04月25日

空襲と特攻 その3

生き残り門

生き残り門

昭和20年4月21日、マリアナ基地を発進したB–29が硫黄島(3月26日、激戦の末陥落)上空を経由し宇佐空を襲いました。8時10分ごろから29機のB–29が250キログラム爆弾を136トン投下。瞬く間に飛行場は破壊され、犠牲者が続出。時限爆弾も多く、遺体の収容もままならない惨状でした。

阿川弘之氏の小説『雲の墓標』は、宇佐空で訓練した実在の人物の日記がもとになっていますが、この日の情景を「頭のない者、手だけの死体、はらわたをちぎられた贓物(ぞうもつ)のかたまりのような者など、それに麻酔剤が欠乏して、麻酔なしで足の切断手術をやっているので、病舎の方から、阿鼻叫喚(あびきょうかん)のうめき声が聞こえて来る」とつづっています。

この空襲による犠牲者は航空隊関係者だけで約300人。民間人の犠牲も多く、江須賀の蓮光寺では本堂などは全壊したものの、山門は奇跡的に残り、現在「生き残り門」と呼ばれています。また、蓮光寺西側の家の防空壕では爆弾が直撃、10人の方が亡くなりました。三洲国民学校(現柳ケ浦小学校)や柳ケ浦高等女学校(現柳ケ浦高等学校)も被弾し、校舎が炎上するなど大きな被害が出ました。

多くの遺体が駅館川河川敷で荼毘(だび)に付される中『雲の墓標』には「死に対して、すこぶる無関心になっているようだ」ともつづられており、体験した母も同様の言葉を残しています。次回へ続く。

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