市長コラム「地租改正と宇佐の西南戦争 その1」(令和4年10月号)

更新日:2022年09月21日

地租改正と宇佐の西南戦争 その1

明治5年地券

明治5年 地券

  慶応3(1867)年、明治維新による新政府が発足しましたが、地主と小作農の関係は江戸時代のままでした。小作農の生活は貧しく、全国各地で農民一揆が頻発。宇佐においても明治2年、橋津で農民約600人が集結、庄屋などを打ち壊す一揆が発生しています。

  明治5年、新政府は土地売買の自由を許し、土地所有権を国が認める「地券」を発行。この地券をベースに地租改正を行い、地価の3%を税として土地所有者から徴収するシステムに改めます。江戸時代の五公五民に比べると一見税の軽減に見えますが、ねらいは金納による税収確保と、凶作による税収減リスクを農民に転嫁することにありました。

  同じ頃、廃藩置県により小倉県が設置され、宇佐は駅館川以西を第八大区、以東を第九大区とし、その下に小区が置かれました。地租の徴収や村落の管理などの事務は、地主から選ばれた区長たちが担当しました。

  先述の通り、地租は金納です。区長たちは農民から預かった米を大阪神戸の米商人に売り現金化して納税。一連の会計処理は農民に報告のうえ承認を受ける決まりでしたが、守られない区や米売買額と納税額との差額を共有金としてプールする区もありました。農民たちは不信感を募らせるとともに差額を返せと訴えます。これを「公金割戻し」運動といい、後に火を噴くことになります。続く。

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