市長コラム「宇佐の中等教育 その4」(令和4年5月号)

更新日:2023年04月06日

宇佐の中等教育 その4

吉用寿栄の写真

  今月は柳ヶ浦高校の創設者、吉用寿栄(よしもち すえ)さんの話です。創立は明治43(1910)年の私立柳ヶ浦裁縫女学校で、良妻賢母を目指す「淑徳」を建学の精神としています。寿栄さんは宇佐郡南毛村(現・安心院町下毛)で生まれ、現・東京家政大学の東京裁縫女学校で教職免許を取得。校長兼教諭として女学校をスタートさせると、宇佐郡内各地から生徒が集まりました。

  大正13年に財団法人大分県柳ヶ浦女子高等技芸学校に改称、昭和6年には安心院町下毛(現・家族旅行村)に分校を設置します。昭和16年、柳ヶ浦高等女学校となった同じ年、太平洋戦争勃発。女学校の近くに宇佐海軍航空隊があったことから戦争末期には特攻隊の宿舎として利用され、昭和20年4月21日、米軍の空襲により校舎は焼失します。

  戦後、街は焦土と化し、食料や物資不足で生活は困窮を極める中、寿栄さんは学校を海軍航空隊の整備工場に移し授業を再開します。そして昭和23年、学制改革の流れに乗り、現在地に柳ヶ浦女子高等学校として復興を遂げるのです。なお、同年、安心院高等女学校は安心院町に寄付され、新制安心院中学校として利用されました。

  激動の時代を生き抜いた寿栄さんは昭和34年、78歳で生涯を閉じます。まさに女子教育に情熱を燃やし続けた人生でした。

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