市長コラム「世界かんがい施設遺産 その3」(令和3年10月号)
世界かんがい施設遺産 その3
広瀬頭首工
先月号の平田井路は駅館川左岸でしたが、広瀬井路は右岸です。左岸より20m高く、水源を院内地区の広瀬に求めました。しかし、17キロメートルにわたる水路は、上流は固い岩盤、下流は脆い地質という難工事の連続でした。宝暦元年(1751年)、文化11年(1814年)、文政11年(1828年)の工事は、いずれも挫折。慶応元年(1865年)金屋の庄屋・南一郎平らが再度挑みます。
かんがい施設には、資金、技術、事業調整の3つが必要です。まず資金ですが、一郎平らは日田の豪商・広瀬久兵衛や幕府から借用し、その額は2万両に上りました。現在のお金に換算すると約20億円。個人のレベルをはるかに超えています。技術面では、まきや油で熱してひびを入れ、鑿(のみ)で削りながら固い岩盤を突破、サイフォンや水路トンネルなどで軟弱地質に対処しました。
明治維新後、新政府の協力を取り付け、明治3年(1870年)、120年もの歳月を経て念願の通水を果たします。しかし、軟弱地質の崩落などが相次ぎ、工事が完了したのは3年後、補修費用などは重く一郎平にのしかかりました。この間の労苦は言語に絶します。「天に財(たから)を積み、地に業(わざ)を現せ」身を捨て、公益のために全てを捧げた一郎平の生き方は、私たちの胸を強く打ちます。
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更新日:2023年05月19日