市長コラム「世界かんがい施設遺産 その2」(令和3年9月号)

更新日:2023年04月06日

世界かんがい施設遺産 その2

円形分水

円形分水

平安時代末期、宇佐神宮大宮司であった宇佐公通(うさきんみち)(以下、公通という)は、九州一円に荘園を有し、妻は平清盛の娘という説があるほど絶大な力を持っていました。公通は地区住民救済のため、駅館川西部の開発に着手します。宇佐平野は瀬戸内気候で降水量が少なく、駅館川は大雨が降れば氾濫、日照りが続けば干ばつという有様でした。しかも、平野部は5キロメートル行って1メートル低いだけの勾配。農業用水を安定的に確保するには、資金はもとより高度な技術と大量の人手が必要でした。

  公通が工事に先立ち鷹栖(たかす)観音堂にこもると《12匹の白蛇が這った筋の通りに水路を開削すべし》というお告げを得ます。白蛇伝説です。神仏の権威をうまく利用した公通は、まず木杭を打ち、石を積み、芝でつなぎ止め、土盛りして堰(せき)を築造。そこから氾濫した際、水が流れたルート(白蛇ルート)をベースに約25キロメートルに渡り水路を開削。水争いが起きないよう用水取水を時間ごとに取り決めました。これを「時水(ときみず)」と呼びます。

  1156年、ついに平田井路が完成、受益面積は140ヘクタールに及びました。現在は国営事業などにより1546ヘクタールまで拡大していますが、水路は当時とほぼ同じルート。当時の技術力の高さに関係者一同舌を巻くばかりでした。次回は広瀬井路を紹介します。

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