市長コラム「蓑虫山人 その3」(令和2年7月号)

更新日:2023年04月06日

蓑虫山人 その3

筧白雅宅訪問

筧白雅訪問

放浪の画家として知られる蓑虫山人は、江戸時代末期、宇佐中津路を旅していますが、まず猿渡村の筧白雅(本名筧文梁)を訪ねています。医者でありながら書画、俳句、短歌などに堪能な白雅とウマが合ったようで、旅の最後も白雅宅となっています。

賀来飛霞氏宅席上の図

賀来飛霞宅席上の図

続いて日本三大本草学者、賀来飛霞との出会いを紹介します。当時、従兄の惟熊(これたけ)を中心とした大砲造りの反射炉が健在で、また、亡き兄佐之(さけゆき)にかわって飛霞が島原藩医を務めていた頃です。解説編では《脇差をそばに置き正座して説明を聞き入る姿には、ほかの場面にはない緊張した様子が伺われる》とあります。反射炉の絵がないのは残念ですが、企業機密だったからと思われます。

なお、福貴野の滝を見学しようとして道に迷い、猟師宅でジビエ料理を御馳走になった絵や、東椎屋の滝見学後、札付きの悪党に出会い、股をくぐらされた屈辱の絵もあります。さらに、飾り馬に乗った花嫁が新郎の家に嫁ぐ絵もあり、馬が嫁入りの際に重宝されたこともわかります。
蓑虫山人は絵を描いた際、文人などに絵を褒めたたえる文言(賛)を書いてもらっており、資料的価値を一層高めています。今回はほんの一部の紹介でしたが、当時の風景や生き生きとした様子が目に浮かぶようでした。

 

旅中の艱(かん)苦災難の図

旅中の艱(かん)苦災難の図

豊國の風俗嫁入の図

豊國の風俗嫁入の図

この記事に関するお問い合わせ先

秘書広報課 広報広聴係
〒879-0492 大分県宇佐市大字上田1030番地の1 本庁舎3階

電話番号:0978-27-8106
ファックス:0978-32-1138

メールフォームによるお問い合わせ

ページに関する評価
このページは参考になりましたか?
このページは見つけやすかったですか?
このページの内容はわかりやすかったですか?