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宇佐市平和資料館の展示が一部リニューアルされました

印刷用ページを表示する 2015年7月1日更新

開館2周年を記念して、宇佐市平和資料館の展示を一部リニューアルしました

平成25年6月29日に宇佐市平和資料館が開館し、早くも2年が経過しました。
今回、「永遠の0」コーナーの隣に、新たに発見された図面や文書などの資料を基に作成したパネル等を追加しました。
新たに設置したパネルでは、日本の都市部を中心とした空襲が行われ始めた昭和19年頃から、空襲への備えとして建築された掩体壕や駅館川沿いの横穴壕、特攻隊の出撃を視野に入れた滑走路の拡張等の工事のための設計図などを紹介しています。

掩体壕の建築と改修

日本各地が空襲を受けるようになり、宇佐海軍航空隊でも掩体壕が造られはじめます。昭和18年(1943)年の夏に、屋根を持たない無蓋掩体壕が造られました。翌年からはコンクリート製の有蓋掩体壕が造られ始め、最終的には有蓋掩体壕が10基以上、無蓋掩体壕が47基造られました。
有蓋掩体壕の多くは、零式艦上戦闘機用に造られたものでしたが、入口部分を改修して「天山」と呼ばれる艦上攻撃機も格納できるように変更されました。

城井1号掩体壕

畑田地区の掩体壕(改修の痕跡有)

無蓋掩体壕

城井1号掩体壕

畑田地区に残る掩体壕
(改修の痕跡あり)

上乙女地区に残る無蓋掩体壕

滑走路の拡張

昭和19年になると、「一式陸上攻撃機」と呼ばれる7人乗りの攻撃機の部隊が宇佐へ進出することが決定します。
既存の滑走路(長さ:1,150m、幅:30m)では離陸への距離が不足することや、3機同時に離陸することができないため、滑走路の拡張が行われることになりました。
その結果、滑走路は長さ1,800m、幅80mまで拡張されました。

滑走路跡

滑走路舗装の図面拡張後の滑走路

滑走路があった場所に造られた道路

滑走路拡張用の図面

拡張後の滑走路

横穴壕の構築

昭和20年になると、空襲に備えて宇佐海軍航空隊の周辺に横穴壕が構築されました。
駅館川東岸の崖面には、60ヶ所を超える横穴壕が掘られており、一部は燃料庫や魚雷の調整所としても使用されました。
昭和20年の4月21日にB29による空襲を受け、航空隊の主要な施設が破壊されたため、横穴壕の中に司令部をはじめとする主要な施設を移しました。

高居地下壕

魚雷調整用の防空壕

燃料庫、爆弾庫用の横穴壕

高居地下壕

魚雷調整用の横穴壕

爆弾、燃料用の横穴壕

昭和20年5月14日の空襲

昭和20年3月18日に米軍による初めての空襲を受けて以降、終戦直前の8月8日まで判明しているだけでも11回の空襲を受けています。
5月14日に米軍の艦載機による空襲の被害を記した文書によれば、午前と午後に行われた2回の空襲により人間爆弾「桜花」の格納庫につながる道路に被害が出たことや、柳ヶ浦地区への空襲で5人の民間人がなくなったこと、豊前善光寺駅と八幡小学校に被害が出たことなどがわかります。

5月14日の空襲

空襲後の状況

被害状況を記した調書

空襲時の状況(ガンカメラ映像から)

空襲後の宇佐海軍航空隊

空襲の被害状況を書いた調書