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賀来飛霞

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年6月16日更新

賀来飛霞 (かく ひか)

賀来飛霞

 賀来飛霞年表

文化13年  

賀来飛霞、島原藩領国東郡高田村に生まれる

文化14年

 1歳

有軒(父)死去
帆足万里(儒学者)と佐之(兄)が飛霞を教育

文政 4年

 5歳

帆足万里に医学と本草学を学び始める
画人十市石谷から写生画の技法も学ぶ

天保 5年

18歳

佐之(兄)とともに、山本亡羊(本草学者)に学ぶ

天保11年

24歳

佐之(兄)とともに由布岳で現地調査を行う

天保13年

26歳

東北、北陸・甲信越地方をめぐり現地調査を行う

天保14年

27歳

島原藩の依頼により島原半島で現地調査を行う

弘化元年

28歳

島原藩領宇佐郡佐田村で医業を開く

弘化 2年

29歳

延岡藩の依頼により日向で現地調査を行う

安政 4年

41歳

佐之(兄)の死去にともない島原藩医に任命

明治 9年

60歳

宇佐郡公立四日市医学校長・同病院長に任命

明治11年

62歳

小石川植物園取調掛に任命

明治19年

70歳

小石川植物園を退職、明治21年に佐田村へ

明治27年

78歳

佐田村で死去

 賀来飛霞は、幕末の1816(文化13)年に現在の豊後高田市高田(当時の島原藩領)で生まれました。飛霞は、成長すると現在の宇佐市安心院町佐田(当時の島原藩領)で医業を開き、1857(安政4)年からは島原藩医(島原藩お抱えの医者)もつとめています。彼はその生涯を本草学にささげ、優れた業績を残したことにより、幕末の三大本草学者の一人に数えられました。日本各地をめぐり歩いて自然とふれあい、多くの観察記録と精緻な写生図を残しています。

江戸時代の本草学

 本草学は中国で生まれた学問で、中国の医学(漢方)に付属した薬物学のことです。現在とは違い、薬を自然界から手に入れる以外に方法がなかった時代、自然界の何が薬として利用できるのかを調べる学問が本草学だったのです。
「薬学」という言葉がありますが、本草学では植物を中心に研究が行われました。この学問は、すでに奈良時代以前には、中国から日本へ伝えられていたといわれています。
 江戸時代のわが国の本草学は、それまでの本草学と比べると、内容的に2つの大きな特色がありました。1つは、実際に各地をめぐって日本の自然にふれ合い、実物(植物や動物など)を観察・記録する現地調査にもとづいて研究が行われるようになったことです。そして、もう1つは、薬物学をはなれて自然界のあらゆるものを対象に調査が行われるようになったことです。飛霞も、九州はもちろん、全国各地をめぐり歩いて自然に親しみ、植物や鳥・魚・昆虫、さらには鉱物まで観察・記録していました。

賀来飛霞の本草学

 飛霞の本草学の研究成果を代表するものが、植物や動物の姿を正確に描き取った写生図です。まだカメラがなかった時代、世の中の人びとは、動植物の姿を写生図によって学んでいました。飛霞は、当時一流の写生技術をもっていたといわれています。何より、飛霞の写生図からは、彼が各地をめぐって自然とふれ合い、自然界と真剣に、そして真摯に向き合っていたことがうかがえます。飛霞は、こうした写生図や観察記の作成といった基礎的な研究を徹底して行った本草学者だったのです。
 明治時代の1878(明治11)年、飛霞は東京大学小石川植物園で植物研究を開始し、1881(明治14)年には、本草学者伊藤圭介とともに植物図鑑(東京大学小石川植物園草木図説 巻一)を出版しました。実は、この図鑑の植物についての解説は、みずからの調査記録にもとづいて飛霞が書いたものでした。写生図をはじめとする飛霞の現地調査の成果は、日本の近代植物学の成立に大きく貢献しました。

賀来惟熊・飛霞関連事業

日時内容
 平成24年 6月 1日~24日県立歴史博物館企画展 「賀来飛霞~自然を見つめる~」
 平成24年 6月 9日「賀来飛霞・惟熊」顕彰バスツアー 歴博、佐田神社、広瀬水路、昭和の町など

 平成24年 8月18日

郷土の偉人顕彰フォーラム 荒俣 宏 講演会

 平成24年12月15日

市民環境歴史講座 「賀来飛霞・惟熊の生涯」 講師 平川 毅(歴史博物館)

 平成24年12月末

宇佐学マンガシリーズ2 「賀来飛霞・惟熊」完成

 平成25年1月上旬

図書館2階ギャラリー企画展 郷土の偉人「賀来飛霞・惟熊」展

 平成25年1月下旬

宇佐学マンガシリーズ2 出版記念講演会

関連リンク

佐田地区まちづくり協議会 ~佐田の名所(人物) 賀来飛霞~

佐田地区まちづくり協議会 ~アラマタが語る「賀来飛霞がめざした本草学‐ほんぞうがく-~

郷土の偉人顕彰シリーズ

賀来惟熊(大砲製造)

双葉山定次(第35代横綱)

松田新之助(石橋)