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松田新之助

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年11月19日更新
松田新之助

松田新之助年表

慶応3年院内町景平で、松田元平の長男として生まれる
明治40年宮の瀬橋 架設 (院内町斎藤)
大正2年荒瀬橋 架設 (院内町副)
大正10年中島橋 架設 (院内町斎藤)
大正11年土岩屋橋 架設 (院内町土岩屋)
大正13年景平橋 架設 (院内町景平)
大正14年御沓橋 架設 (院内町御沓‐二日市)
大正14年富士見橋 架設 (院内町斎藤)
昭和2年水雲橋 架設 (院内町原口)
昭和7年長六橋 架設 (院内町小稲)
昭和22年81歳で死去

 松田新之助は、松田元平の長男として、院内町景平で慶応3年(1867)10月11日に生まれた。元平は、土木工事業に開眼し、関西・関東で土木事業に身を投じ熟成を期した。明治30年(1897)に帰村した新之助は父の事業を継いだ。若い棟梁、新之助は水系と地形にマッチした石造アーチ橋に挑んだ。東大出身のMという若い技師の設計で石積をしたが途中で切石不足を生じたという話が残されている。
 大正14年(1925)架設の富士見橋は、工事の半ば昼食中に大響と共に崩落した。このため、田畑山の私財を投じ再び架橋した事例がある。これを最後に石橋架設請負を断念することを宣言したが強い要望もあり、昭和2年(1927)水雲橋、昭和7年(1932)長六橋、昭和8年(1933)中山橋【安心院町中山】昭和9年(1934)丸田橋【安心院町丸田】を架設している。
 古代ローマの「ロマンアーチ」を思わせる石橋王は三男二女を養育し、昭和22年(1947)4月23日81歳の生涯を終えた。 

松田新之助関連事業

日時内容

平成25年5月 1日~
平成26年1月20日

「未来へ残したい いんない石橋の郷フォトコンテスト」作品募集期間

平成25年5月 5日~
       6月16日

「いんない石橋と匠たち」展 宇佐市民図書館渡綱記念ギャラリー
平成25年8月10日「知っとく!!いんないの石橋」

平成25年8月19日~
       9月10日

「いんない石橋の郷・絵画コンクール作品募集」

平成25年9月14日

「院内の石橋と環境保全」(第3回市民環境歴史教室)

平成25年9月21日

「石橋フォーラムinいんない」
「いんない石橋の郷・絵画コンクール表彰式」
「第8回 いんない石橋の郷コンサート」

平成25年9月22日「いんない石橋めぐりバスツアー」

平成25年12月

「宇佐学マンガシリーズ3」刊行

平成26年2月16日

「宇佐学マンガシリーズ3」出版記念 フォトコンテスト表彰式

 関連リンク

院内町の石橋群

院内石橋散策 ~宇佐市観光協会~

郷土の偉人顕彰シリーズ

双葉山定次(第35代横綱)

賀来惟熊(大砲製造)

賀来飛霞(本草学)

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